明確にこの東郷の倭文神社を指しているとわかる最古の言及は、康和5年(1103年)のもの。なにしろこれはこの神社の境内から発掘された文書だし、「伯耆国河村郡東郷御坐一宮大明神」と書かれている。これがこの神社が「一宮」であったことを示す最古の史料でもある。
倭文神社のある御冠山は東郷湖畔にある。ただし、主要道路からは外れた場所にあり、農道のような小路を登っていった行き止まりに神社がある。 行き止まりにはそこそこの駐車場が整備されていて、「国幣小社倭文神社」の立派な柱が立っている。
鳥居の社額には「伯耆国一宮倭文神社」と書かれている。
このあたりに山へ入っていく脇道があり、その先に経塚がある。 そこが国宝が出土した「伯耆一ノ宮経塚」だ。 が、その国宝は、貴重すぎるがゆえにここにはなく、 東京の国立博物館にある。 なにがどう国宝かというと、 金銅や銅の仏像各種のほか、銅鏡、瑠璃、銅銭、漆器など 奈良時代のいろいろな作品が一式出土していて、 一式まとめて国宝だ。 この経塚、もともとは下照姫命のお墓であると言い伝えられてきた。 大正時代に盗掘があり、それで思い切って掘り返してみたら、 お宝が出てきたというわけである。 さて、狛犬が護る随神門。
「御冠に入った秀吉との対陣は有名」とあるけれど、有名か?たぶん今はもう鳥取県民でも、歴史好きでなければ知らないだろうと思うが・・・。 これを少し補足説明すると、戦国時代、中国地方制覇をめざす豊臣秀吉は、因幡国の鳥取城を包囲し、兵糧攻めにして陥落させた。逃げ出そうとする民を城の中に追い返して、食料が早く無くなるようにしむけたもので、城の中はとんでもないことになった。どのぐらいとんでもないかというと、NHKの大河ドラマでは放送できないような事態になってしまったのだ。これは鳥取市民は誰でも知っていることだが、食料が尽き、木の根や蛙も食べ尽くしたあとは、人の死体を食べ始めたである。いろいろな悽惨な逸話が残されているが、そこらへんは省略するけども、結局、城守である吉川経家が切腹して詫びを入れ、開城した。それで因幡国は秀吉のものになったのである。 で、毛利元就の次男で、吉川家に入った吉川元春は、鳥取城を救援しに行くところだったが、間に合わなかった。落城を知ったのが、この湯梨浜の馬ノ山だった。馬ノ山からは、天神川を渡らなければ伯耆国に戻れない。そこで元春は、馬ノ山に全軍を集めて陣を敷き、背後の天神川の橋を焼き落とした。自分たちが伯耆国へ逃げ帰る退路を断った、いわゆる背水の陣である。(いまの天神川は東郷湖の西で直接海に注いでいるけれど、これは江戸時代に作られた新流路である。それ以前の天神川は、東郷湖に注ぎ、それから馬ノ山の麓で海へ注いでいた。) 秀吉は因幡を落としたあと、イケイケで伯耆国へ攻め込もうとして、馬ノ山の隣の御冠山(倭文神社がある)まで来て、前方で吉川元春が背水の陣を敷いているのを見た。秀吉は、これ以上進むとまたクソ面倒くさいことになると悟り、伯耆進軍をあきらめて引き返したのである。この「戦わずに秀吉を諦めさせた毛利元就の次男スゲー」が「有名」なのだ。 なお、この結果として、伯耆国のなかで秀吉に味方していた羽衣石城(東郷湖の南にあった)の南条氏が八方塞がりになり、毛利氏に攻め落とされている。気の毒に。 「参道に安産岩がある」と書いてあったけど、 さすがにこんなところで産んだらそれはもう安産じゃなくね?って思ったら、 これは安産岩じゃないっぽい。
さて、門をくぐって境内へ。 各地の「一ノ宮」とされるところには、旗とか看板とかいろいろ賑々しいところもあるが、 ここは静かできれいな境内だ。 この社殿は文政元年(1818年)のもの。 割とシンプルで落ち着いたつくりだ。
【鳥取県神社庁誌データ】
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参拝日:2013年08月10日 |