Wikipedia:「特筆性」は有無の問題ではなく大小の問題である
「特筆性(Notability)」は、「ある」or「ない」というように、1か0かに分別できる概念ではありません。「大きい」「小さい」「中くらい」のように、幅をもつ値として取り扱うものです。
特筆性の一般的な目安(WP:GNG)では、下記の要件が示されています。
このうち、「信頼できる」を検討してみます。Wikipedia:信頼できる情報源では、「信頼性はスペクトルのように幅がある」とされています。たいていの情報源は、「信頼性が一切ない」か「100%完全に信頼できる」のいずれかでしかない、なんてことはありません。「いくらか信頼できる」「多少は信頼できる」「まあまあ信頼できる」「かなり信頼できる」などのように幅があるでしょう。
特筆性を構成する要件の一つが「幅」をもつわけですから、特筆性も「幅」を有する概念ということになります。
ほかにも「有意な言及」も、その「有意さ」は「幅」をもちます。例示されているように「360ページの本」が出ているような主題は「有意な言及がある」と言えるでしょう。反対に「たった1行」しかないような言及は「有意ではない(取るに足らない)」とみなされます。
では2行では?10行では?1ページでは?10ページならどうでしょう。こうした問題は「3行までは有意ではないが4行以上は有意だ」などと決められるものではありません。「有意さ」にも幅があるのです。
「対象との無関係さ」も同様です。情報源は「全くの第三者」から「直接の利害関係者」までいろいろです。
「情報源」が示す「一次資料」「二次資料」も同様です。たいてい、これらは完全に分別できるものではなく、一次寄りの情報源や二次寄りの情報源が混在しています。
「そこそこ信頼できる情報源でのちょっとした言及」や、「かなり信頼できる一次情報源での微細な言及」「あまり信頼できない第三者情報源での特大の言及」などが集まって、その事物の「特筆性」が形成されます。
ふつう、情報源の「信頼性」は、その情報源が適切な査読を経て世に出ている(はずだ)、という前提で推し量られます。評判のよい大手の出版社であればきっとしっかり査読しているだろう、と仮定しています。とはいえ、大手出版社は、堅い専門書から娯楽雑誌まで幅広くてがけていますから、その出版社のものならなんでも大丈夫、とは言えないでしょう。
主題や内容によっても考え方は変えなければなりません。ふつう、日本経済についての評論ならば『プレイボーイ』よりも『日経新聞』のほうが信頼できるといえるでしょう。しかしグラビアアイドルについての情報ならば『日経新聞』よりも『プレイボーイ』のほうが重要な情報源になるかもしれません。
記述に関しては信頼できるといえるでしょう。経済学者による論文は、もしかするとそれ以上の信頼性を有するかもしれません。ただし一般的に論文というものは、どれぐらい被引用されているかで権威づけられるものです。
しかしポップカルチャーに関する『日経新聞』の分析は、そこまで信頼できるとは言えないかもしれません。