Henry Savile
ヘンリー・ラムリー=サビル(Captain Henry Lumley-Savile,1820.8.2 - 1881.8.28)は19世紀の名馬Cremorneと初代パリ大賞優勝のThe Rangerの生産者・馬主である。
8代スカボロー伯爵の息子だが、両親が正式な結婚をしていなかったので爵位を継ぐことは認められず、近衛騎兵連隊での役職「Captain」(大尉)を名乗っている。爵位は従兄弟が継いだが、父からはノッティンガムシャーの牧場を遺贈され、そこで名馬クレモルヌを生産した。
家柄
イングランド中部のノッティンガムシャーにあるラフォード・アビー(en:Rufford Abbey)に所領を持つサビル准男爵家の末裔。もともとサビル准男爵位をもつサビル家は8代目のジョージ・サビル(en:Sir George Savile, 8th Baronet)が跡継ぎを残さず亡くなったため、その甥のリチャード・ラムリー=サンダーソンが家を継いだ。このリチャードが後にスカボロー伯爵位を継いだので、ラムリー=サビル伯爵家は「スカボロー伯爵位」と「サビル准男爵位」の両方を所有するようになった。
ヘンリーの実父は第8代スカボロー伯爵ジョン・ラムリー=サビル(en:John Lumley-Savile, 8th Earl of Scarbrough、1788-1856)である。8代スカボロー伯爵は生涯正式な妻を持たなかったが、非嫡出の4人の息子と1人の娘がいた。伯爵は馬産家で、ヨークシャーのティクヒル(Tickhill)に牧場をもっていた。この牧場に受け継がれた牝系から2号族のファミリーが発展してゆくことになる。だが、8代スカボロー伯爵は、自身が生産した最高のサラブレッドの活躍を見ることなく1856年に亡くなってしまう。ちょうどその年に生まれたばかりのニューミンスター産駒の牡馬(Musjid)は、馬主になるはずだったスカボロー伯爵の死によって競売にかけられ、安値で売られていった。そして3年後の1859年にダービーを勝つのである。
ラフォード・アビーの牧場
1856年に8代伯爵が亡くなると、妻が正式な結婚をかわしていなかったので息子ヘンリーは爵位を継ぐことはできなかった。そのため伯爵位は従兄弟のリチャード・ラムリーが9代スカボロー伯爵となったのだが、ラフォードアビーの土地をはじめとした財産(当時の価値で37000ポンド、2000年頃の160万ポンド≒約2.5億円あまりに相当)は、あらかじめ次男のヘンリーに遺贈していた。
サビル家に伝わる繁殖牝馬として2号族の分枝2-nのファミリーの系統がおり、Clinker mare(1816)、Langar mare(1837)、Gardham mare(1845)と続き、やがてパリ大賞初代優勝馬のThe Rangerやダービー馬Cremorneが出て、Cremorneの全姉Mabilleは新たに2-oの系統の始祖となるのである。