イングランドの歴史(古代編)

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地質時代

先史時代(~紀元前43年まで)

いまから250万年前から、第四紀の氷河時代が始まった。この間、数万年サイクルで寒冷な時期(氷期)と温暖な時期(間氷期)が交互にやってきた。(いまのところ)最後の氷期はおよそ12,000年前に終わり、温暖な時代が始まった。氷河期には、海水の多くが凍っていたことで地球上の海面はいまよりもずっと低かったので、大陸とグレートブリテン島は地続きだった。っていうか、ヨーロッパ大陸の大半とグレートブリテン島は氷河で一続きになっていた。だからヒトや動物の往来があったものと思われる。詳しいことは判っていないが、グレートブリテン島の各所では、およそ50万年前ごろからヒトの祖先の化石や、原始的な石器がみつかるようになる。

氷河がゆっくりと溶け始めると、3500年ほどかけてグレートブリテン島は大陸から切り離された。その理由は2つある。一つは、氷が溶けて海水が増え、海水面が上昇したこと。もう一つは、島を覆っていた巨大な氷が溶けたことで、島部分にかかる重さが軽くなり、逆に海の水が増えて海底にかかる重さが上昇し、この相対的な重さのバランス変化によって、陸地が隆起したことによる。およそ8500年前までに、グレートブリテン島は英仏海峡によって完全に大陸と隔てられることになった。

現在も解明されていないので謎のままだが、当時のグレートブリテン島にはヒトがいて、ストーンヘンジを建設するなどの文明を有していたらしい。しかしそれがどういった民族であったかなどは未知である。紀元前7000年紀にケルト人(正確には「ケルト系の民族」というべき)がやってきた。ケルト人は鉄器文明を有しており、先住民族を駆逐したらしい。

この「ケルト人」というのがあまりよくわかっていない。彼らの文字文化が難解すぎてよくわからなかったり、のちにやってきたローマ人やキリスト教徒がケルト文化を異教として破壊したため、あまり伝わっていないからだ。そして伝説や神話と、史実の区別がつけられないまま伝播している。

細かい話はここでは端折るが、紀元前1世紀までに、グレートブリテン島はローマ人に「ブリタニア」として知られるようになった。これは「ブリトン人の土地」という意味で名付けられたものだが、当時本当に島にブリトン人が住んでいたのかははっきりせず、諸説ある。普通にブリトン人が住んでいた説、ブリトン族が住んでいたのは本当は大陸側で、伝聞でローマ人が彼らが島に住んでいると誤解した説や、ローマ人がブリトン族と島の住民を区別できず島の住民もブリトン族だと思い込んだ説、ブルトン人とブリトン人という別の部族がいて、これが混同された説、などなど。

アルビオン

古代以前

アルビオン

古の時代に、ブリトン島は「アルビオン」(白き大地)と呼ばれていたという。ドーバー海峡からブリトン島を眺めると、島は真っ白な崖に囲まれている。石灰岩の露頭だ。「古の時代にアルビオンと呼ばれてた」という話自体が史実かどうか怪しいが、ともかく、古代からこの島は大陸の住民に知られていた。詳細は諸説あるので割愛するが、「アルビオン」の住民はケルト系の諸族だったと考えられている。

かつてヨーロッパで日本が「黄金の国」だと信じ込まれていたように、「アルビオン」は稀少な鉱物資源を産出する土地だと信じられていて、大陸との交易が行われていた。古代ギリシアにも「アルビオン」産の錫などの鉱物資源が出回っていたとの話もある。「アルビオン」にも大陸の文化がいくらか伝わっており、島の南半分、現在のヨーク州あたりまでは古代の貨幣が出土する。

ローマ人の遠征と征服

紀元前58年、ローマ人はカエサルをリーダーとしてヨーロッパへ侵攻した(ガリア遠征)。ここでいう「ガリア」は、「ガリア人(ゴール人)の土地」という意味で、いまのフランス、ドイツ、ベルギーなど広い範囲を示す。この遠征の最中、ガリア人が交渉をもっている「アルビオン」について、ローマ人の知るところとなった。

ローマ人は「アルビオン」のことを「ブリタニア」(ブリトン人の土地)と名付けた。ただし、このときブリトン人が島に住んでいたのかは、諸説あってよくわかっていない。住んでいた説、ローマ人が別の民族をブリトン人と誤解した説、ブリトン人とは別のブルトン人がいた説、それらが混同された説などがある。確かなのは、ヨーロッパ大陸側に「ブリトン人」がいて、ローマ人は彼らが島の住民だと信じたということだ。

カエサルはちょっとお試しでブリタニア上陸を試みたが、原住民にボコボコにされて失敗に終わった。そこで紀元前55年に、今度は大軍を率いてブリタニアへ上陸した。諸族に分裂して互いに争っていたブリタニアの民は、ローマ軍に個別に撃破された。最終的に、ブリタニア諸族の王たちは、ローマへの服従を強いられた。しかしカエサルは厳しい冬を恐れてブリタニア島を離れた。