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小野幌は明治22年(1889年)に山口県からの移民によって拓かれた。 この神社の創設について、境内の掲示によれば、はじめのうちは小祠だったが、詳しいことはわからないという。誉田別命(=八幡神)を祭祀しており、初期には「小野幌八幡神社 」と称していた。 ![]() 社殿が築かれたのは明治38年(1905年)秋で、当時の番地で言うと「小野幌24番」に鎮座していた。 このあたりには国道12号線が通っている。明治から大正時代には、この道路は、東京と、旭川に駐屯する第七師団を結ぶ軍事道路として重要な役割を与えられた。第七師団は北方の備えとして寒い地域の住人で構成されており、特に日露戦争の旅順攻略戦、奉天会戦、ノモンハン事件でロシア軍・ソ連軍と交戦した部隊である。 時代が下ると、国道12号線沿線は小野幌地区でもっとも発展した地域になった。そこで、昭和9年(1934年)に土地の寄付をうけ、現在地へ移転し、社殿を新築した。昭和18年(1928年)(※別資料では昭和24年・1934年 )には、下野幌にあった大沢神社を合祀し、倉稲魂尊を祀るようになった。 昭和63年(1988年)に小野幌の開基百年を記念していまの本殿などが整備された。 ![]() 小野幌開基百年の石碑。 雪の社殿。 ![]()
【北海道神社庁誌データ】
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追加日:2015年1月13日 |