参拝日:2015年1月11日

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音江別神社 - 北海道
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単立

南の里の開拓史を伝える神社。

北広島市


音江別神社は、島松川とその支流・音江別川 に挟まれた、北広島市南の里地区にある。
創建 明治16年/1883年
所在 北広島市南の里
祭神 天照大御神
八幡大御神
社格
例祭 9月10日
明治16年(1883年)に三重県からの入植者、渡辺作左ヱ門が、北海道へ渡るにあたって(伊勢)神宮から御神札を受けて小祠を建立したと伝わる。

目の前には、江別から北広島市中心部を通り、恵庭へ至る道道46号(江別恵庭線)が走っている。その向こうにはJR千歳線が通っており、雪原越しに行き交う列車を眺めることができる。線路までは300メートルほどの距離。

このJR千歳線が敷設されたのは大正時代の終わりで、大正15年(1926年)の夏に苫小牧から苗穂までが全線開通して開業した。工事に携わった作業員たちが、工事後の廃レールで音江別神社の鳥居を作ったそうで、老朽化した旧鳥居からはレールが見えていたそうである。
  この道道は平成9年に拡幅工事があり、その際に古い鳥居が撤去され、今の鳥居になった。



  周囲はほとんど農地(冬なので、雪原だが)しかない。

1月11日(どんど焼きの前日)だったが、境内には人影がないどころか、社殿までは完全に新設の状態で、人が通った形跡もない。



そのかわり、動物の足あとは無数にあった。

境内には、いかにも江別近郊といった風情の、煙突のある赤レンガの集会所が建っている。

この社殿に比べても、レンガ造りの集会所がいかに堅牢につくられているかがわかる。  

地区の歴史を伝える石碑。

  三上先生之碑

先生津軽藩士明治廿八年於音江別分教場奉職也諄々而不知所倦勤續實廿五年兒童不及言父兄倶至如慕親焉

大正八年六月廿六日不幸病歿部落民頌其徳為茲建碑将先生於永遠不相忘矣

大正十一年三月 音江別部落有志一同

何が大変って「矣」とか「焉」とかの字をどうやって変換で出すかだよ。Google IMEは単漢字が成長しないねえ

旧津軽藩士の三上先生というひとが、明治28年(1895年)から25年間にわたり、音江別の学校(分教場)で教鞭をとり、地元の兒童は言うに及ばず、その父兄にも尊敬されていた。

大正8年6月26日(1919年)に病気で亡くなったが、その功績を讃えて後代へ伝えるべく、石碑がつくられた。

とのこと。一教職員にすぎないのに石碑がつくられて100年以上その名が残るというのは凄いね。

【北海道神社庁誌データ】
名称 音江別神社(おとえべつじんじゃ) No 神社本庁包括外(単立神社)
所在 北広島市南の里 TEL -
FAX -
例祭日 9月10日
社格 -
祭神 天照大神
八幡大神   
  
交通 JRバス「音江別神社」停留所より徒歩1分
社殿 8坪(26.4u)
境内     
氏子世帯 70世帯 崇敬者数 
摂末社
備考 




【リンク】
*北広島市HP 国鉄千歳線と音江別神社
*

追加日:2015年1月12日