姫路城の付近にある山に、兵主神を祀る神社と射楯神を祀る神社があり、二社が合わさってできた神社である。
水尾山というのは、今の姫路城に隣接する標高57mの小高い丘で、別名を「男山」と言う。 これが787年(延暦6年)に現在の姫路城近くに移転した。 大己貴命(おほなむち)は大国主神のことである。『播磨国風土記』では「大汝命」という漢字をあてている。 オホナムチは出雲の八十神の従者だった。八十神は、美女と名高い因幡国の八上姫に求婚するため、因幡へ向かう。 途中で有名な「因幡の白兎」のお話があり、実は八上姫のペットである白兎を助けたオホナムチが、八上姫と結婚することになる。 兄神の八十神はこれに怒り、オホナムチを殺してしまう。オホナムチは黄泉の国から復活するが、再び八十神に殺されそうになり、「根の国」へ逃げる。 根の国はスサノオの治める国で、スサノオの娘である須世理姫と結ばれる。スサノオはすごく怒ってオホナムチをぶっ殺そうとするが、須世理姫の助けて難を逃れる。 国を出るときに、スサノオは「大国主となって偉くならないとぶっ殺すぞ」と言い、それ以来、オホナムチは大国主と名乗るようになる。 スサノオが治めていた「根の国」は、出雲(島根)のどこかという説があるが、別説があり、近畿にあるという説もある。
これとは別に、射楯神を祭る神社が八丈岩山という標高173mの山にあった。社伝では大和時代に既にあった、とされている。 713年〜715年ごろに編纂されたとされる『播磨国風土記』に登場する。「因達里(いたてのさと)」に「伊太代神(射楯)」として記述がある。 射楯神というのはイソタケル(五十猛)のことで、スサノオの子である。林業のほか、航海や漁業・船舶の神、商売繁盛や開運・厄除けのご利益もある。『播磨国風土記』では、神功皇后が新羅遠征を行った際には、水先案内をしたとされており、勝利の道を開く神としても崇められている。 その後のことは記録がなく、よくわからないそうだが、『延喜式神名帳』(927年)には射楯神と兵主神を合祀する式内小社・射楯兵主神社として掲載されている。 1181年(養和元年)に播磨国の174社を合祀し、播磨国総社 となった。異称を「三日潮」といい、播磨国の総鎮守とされた。 1581年(天正9年)に、豊臣秀吉が姫路城を築城するため、現在地へ移した。 ![]() 姫路市街の中心に近い、姫路城のそばにあるが、神門のある入り口は案外わかりにくかった。 神社から見ると郵便局の裏手にあたるが、道路から見ると郵便局の裏にあたる。 郵便局はかつての播磨国国庁があった場所だそうで、 姫路城の中曲輪の中になる。 ![]() 入ると実に賑々しい。 あとで分かったことだけど、 射楯兵主神社では60年に1度の一ツ山祭と、20年に1度の三ツ山祭というのがあるそうだ。 (数え方の問題で、厳密には21年に1回、61年に1回になるかな) 「山」というのは ![]() こういうでかい何かのことで、これを1つ作るのが一ツ山祭、3つ作るのが三ツ山祭。 直近の三ツ山祭は2013年(平成25年)だったので、次は2033年(平成45年)。 なお、次の一ツ山祭は2047年。 かなり先だ・・・ ![]() 拝殿。
昭和41年製。
黒田官兵衛にゆかりがあるとされる。黒田官兵衛はもともと姫路生まれで、秀吉に仕えるようになった頃、この神社で7日間の祈祷を行ったそうだ。
琴平社(旅行安全) 鹿島社(一願成就) 神明社(企業・創業・五穀豊穣) 戸隠社(武芸上達) 稲荷社(商売繁盛・家内安全) 案内社八幡宮(厄除・交通安全) 粟島社(安産・疫病退散) 長壁神社(災厄除・姫路城守護) 姫路天道社(学業成就・武芸上達) 祖霊社 厳島神社(海上安全・諸芸上達) となっている。 さらにこれとは別に「十二社合殿」というのがあって、 さまざまな神社が合祀されている。 ここでは特に姫路ならではということで長壁神社を紹介しておこう。 ![]() ご覧のとおり、末社ストリートのなかでもとりわけ特別感のある佇まい。 ![]() オサカベというのは、姫路城の天守閣に住んでいるオサカベヒメ(長壁姫)のこと。 いちおう妖怪ということになっているが、年に1度、城主に城の運命を告げてくれる。 城主が悪行すれば祟ることもあるという。 もともとは、姫路城が出来る前に刑部神社というのがあり、豊臣秀吉が築城のためにこの神社を遠くへ移したそうだ。関ヶ原のあと、池田輝政が姫路城主になって城をいじくり回したのだが、怪異が相次ぐようになり、池田輝政自身も病に倒れた。そこで刑部神社をあらためて城内に建立したという。 もともとオサカベは男とも女ともない妖怪と考えられていたが、江戸時代にこの地を「姫路」と呼ぶようになると「姫」からの連想でオサカベヒメと女性の妖怪となった。その姿は諸説あり、さまざまな姿で描かれる。江戸時代の『今昔画図続百鬼』や『西鶴諸国ばなし』にも登場する。 ぐぐったところ、最近はこんな感じ。 ![]() ![]() ![]()
実は、はじめは入り口がわからず、道路をぐるっと回って神門から入ったんだけども、最初に目に入ったのが、境内にある近代的な「和ダイニング三日潮」と「ブライダルサロン長生殿」だった。 ![]() そんなわけで、正直、ブライダルサロンか〜ということで、お金大好きの商業神社という先入観をもって臨んだので、テンション下がってあまりじっくり見なかった。これだけの広さがありながら30分ほどしか滞在していない。
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追加日:2015年3月9日 |