鳥取県東部にある岩井温泉は、県内では最も古い歴史をもつ温泉地で、『延喜式神名帳』では有馬温泉、道後温泉などと並んで「八古湯」の一つにも挙げられている。開湯は平安時代の貞観元年(859年)と伝わり、旧山陰道沿いに温泉宿場が形成されて賑わった。江戸時代には鳥取藩主池田氏専用の湯船も設けられ、湯治に訪れたという。 その温泉を拓いたという伝説があるのが藤原冬久なる公家である。平安時代初期に、藤原北家の出自で太政大臣を務めた藤原冬嗣(775-826)という公卿がおり、冬久はその子孫だという。 冬久はもともと京都・山城の宇治に住んでいたが、重篤な皮膚病(天然痘とも)を患い、人前に出るのも憚られるような酷い痘痕に悩まされるようになった。世をはかなんだ冬久は京都を離れ流浪の旅に出ると、岩井の地に流れ着いた。そこで神託があり、温泉を発見する。湯に浸かると皮膚の病が癒えたことから、岩井温泉が拓けたのだという。 冬久はその地に住み着き、地元民の指導者となった。その住地は故郷の名をとって「宇治」と呼ばれるようになり、冬久は「宇治長者」の名で崇敬された。宇治の地名は『和名類聚抄』(931-938年頃成立)にも巨濃郡の一郷として記載されている。
宇治地区の西の外れに参道がある。 ![]() この写真だといかにも「村のはずれ」という雰囲気だけど、 参道の左側の緑地は民家の庭先。 実際には宇治地区のほぼ中央に参道がある。
実際には、長安寺の境内と宇治神社の境内は繋がっていて、 寺の建物の隣に神社の建物が建っているのだけれど、 気持ちの問題としていったん参道に戻る。 ![]()
![]() これが社殿。 ![]() 向かって右奥には建物が見えているけども、 その向こう側が長安寺。 ![]() 宇治は鎌倉時代から室町時代のあいだ、京都・石清水八幡宮の荘園がおかれていた。だからその中心地の宇治地区に八幡宮があるのは自然の成り行きである。『因幡志』(1795年)によれば、宇治八幡宮の祭日は8月15日で、おとなりの長安寺には聖観音、地蔵菩薩、毘沙門天像があったという。 【鳥取県神社庁誌データ】
【参考資料】 ![]() ![]() 【リンク】 *おかしな世の中(宇治神社) |
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参拝日:2015年06月16日 |