「因幡の白兎」のお話は有名だ。が、このエピソードは大国主の国づくりの長い物語の一幕だということをご存知だろうか。はじめに白兎に嘘を教え、いたぶったのは出雲の皇子たちである。彼らは、絶世の美女と名高い因幡の八上姫に求婚しに行く途上だったのだ。そしてウサギを助けたオオナムヂは彼らの末弟で、荷物持ちをやらされていた。 ところがこの白兎、実はその八上姫のペットだった。ウサギから事情を聞いた姫は、この性格の悪い出雲の皇子たちではなく、ウサギを助けたオオナムヂを婿に迎える。彼はこれを機に飛躍し、大国主となっていくのである。 因幡国の国造というのは、この八上姫の子孫ということになっている。そして荒坂神社のルーツは、その因幡国の国造と関係があるのだという。
このあたりは今では河口から5kmもさかのぼった位置にある。ただし後述するように、江戸時代までは「荒坂神社」は今よりも1kmばかり海に近い場所にあった。そして福部平野は古代には海であり、このあたりは波打ち際だったのだ。 その「波打ち際だった」のがいつ頃までなのかはわからないし、神功皇后が船でやって来たという2世紀と新羅人がやってきたという9世紀の間には500、600年のひらきがあるわけで、その間に海岸線が大きく変わっていても何ら不思議はない。 しかしまあ、海からやってきて漂着したという話が記録されているということと、今現在の神社が海から5kmも離れていることの間に、そんなに齟齬はないのかもしれない、ということだ。 古代の山陰道のルートのうち、蒲生峠と国府のあいだのルートがどうであったかははっきりわかっていない。おおまかに2つのルートの説があり、そのうち一方の説では、この荒坂を山陰道が通っていたことになっている。京都方面から来ると、荒坂を登り、榎峠と越えると国府へ入るのである。
この八重原地区だが、江戸時代には「八重原村」といった。 八重原村はおとなりの矢谷村(やだに-)の支村として始まった。 江戸時代初期の正保年間(1644-1648年)に成立した『因幡国絵図』では、 矢谷村のなかに八重原村が描かれているが、 元禄7年(1694年)の史料では別村となっており、 江戸時代初期に分村して成立したようだ。 この矢谷村や八重原村を流れる川は、 塩見川の支流で、箭渓川という。 字面は異なるが、「箭渓」は「やだに」と読むので、矢谷村と通じるのである。 矢谷・八重原は、江戸時代は良質の竹の産地だった。 竹を何に使うのかというと、矢の軸にするのである。 なるほど、それで「矢谷」なのかと思う。 そして八重原村では産土神として三宝荒神と牛頭天王を祀っていたと云う。 明治時代になり、神仏分離が行われると、 矢谷の「荒坂山王」は明治元年(1868年)に「荒坂神社」に改称した。 同時に八重原の三宝荒神は「荒神宮」となり、荒坂神社の摂社の扱いになったようだ。 これとは別に「八重原神社」というのがあったそうだが、これについてはよくわからない。 明治4年(1872年)、矢谷の「荒坂神社」は、八重原の「荒神宮」の境内地へ移転する。 これが今の荒坂神社だ。移転の理由はワカラナイ。 その後、明治44年(1911年)に八重原神社が荒坂神社に合祀されている。 一方、 矢谷の八幡宮は明治元年(1868年)に「箭渓神社」に改称、 さらに大正7年(1918年)に下流の高江地区にあった「立川神社」を合祀し、 大正9年(1919年)に「塩見神社」に改称した。 というわけで、現在の荒坂神社は、名前こそ「荒坂」を受け継いでいるものの、 神社の位置は延喜式の荒坂神社とは場所が異なっている。
![]() 入母屋造だ。 柱や梁は存外シンプルで(昭和12年ごろの作だからそんなものか)、 しかし赤い瓦屋根の反りっぷりはさすが本場の神社という派手さが漂う。 ![]() 拝殿の向こう側。 本殿は流造りだ。 境内は、線路を渡ったあたりの参道の雰囲気からは思いもつかないほど 広く平らに整備されていた。 ![]() ![]() 箭渓川としては最も上流にある八重原村は、 江戸時代は矢の材料とする良質な竹の産地だったそうで、 (だから「矢谷」なのだ) いまでも境内の際には青竹がニョキニョキ生えている。 ![]() かつては水道さえ整備されていたようだ。 ところで、拝殿の左奥手に見切れている、なにやら朽ちかけ風の建物だが ![]() よく見るとなかなかちゃんとしている。 ![]() ていうか、この彫刻である。 昭和期の拝殿と比べても、著しい装飾が施されている。 ちょっと詳しいことは判らないが、 ここに本来からあったという荒神宮(三宝荒神)なのではないだろうか。
【参考資料】 ![]() ![]() 【リンク】 *延喜式神社の調査(荒坂神社) *八百万の神(荒坂神社) * |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参拝日:2011年07月31日 |