「ザクセン選帝侯の見本」の版間の差分

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2016年11月28日 (月) 13:55時点における版

ザクセン選帝侯ドイツ語: Kurfürst von Sachsen英語: Elector of Saxony)は、神聖ローマ帝国下のドイツ中世から近代にかけての有力諸侯の1つである。

選帝侯(選挙侯とも)は、神聖ローマ皇帝を選出する投票権(選帝権)[注 1]をもつ特権的な資格で、ドイツの有力諸侯に授けられたものである。

中世初期のザクセン公国(9世紀-)は13世紀に分裂した。その末裔であるザクセン=ヴィッテンベルク公は1356年に選帝侯位を与えられて「ザクセン選帝侯」となった。当時の選帝侯は全部で7名であった。

19世紀のはじめ、ナポレオンによって神聖ローマ帝国が解体されると、1806年にザクセン選帝侯は王位を名乗ってザクセン王国となり、ライン同盟に加わった。

ザクセン王国は普墺戦争(1866年)に敗れてプロイセン王国に降伏し、北ドイツ連邦に加盟、さらに1871年にドイツ帝国の一部となった。

訳語対照表

ドイツ語 日本語 英語
Kurfürst von Sachsen ザクセン選帝侯 Elector of Saxony
Kurfürstentum Sachsen ザクセン選帝侯領 Electorate of Saxony
ザクセン公 Duke of Saxony
Herzogtum Sachsen ザクセン公国 Duchy of Saxony
Königreich Sachsen ザクセン王国 Kingdom of Saxony
Könige von Sachsen ザクセン王 King of Saxony

小史

家系の変遷

ザクセン公位

最初の「ザクセン公」は、9世紀にリウドルフィング家へ与えられ、ザクセン公国(Herzogtum Sachsen)が成立した。同家からは後に初代神聖ローマ皇帝オットー1世(在位962-973年)を出しており、これを「ザクセン朝」と呼ぶこともある。

オットー1世が皇帝になると、ビルング家が「ザクセン辺境伯」(Markgraf von Sachsen、辺境伯参照)となり、のちにザクセン公位を授かった。

12世紀の初頭にビルング家が断絶し、ズップリンブルク家にザクセン公位が与えられ、その後、神聖ローマ皇帝ロタール3世(在位1133-1137)となった。

ロタール3世即位後は、ヴェルフ家ハインリヒ獅子公に与えられた。ハインリヒ獅子公はザクセン公とバイエルン公の両方を有して権勢を誇ったが、のちに神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世と不和になり、ザクセンはアスカニア家に与えられた。その後、数代にわたり、ザクセン公位はアスカニア家とヴェルフ家を転々とした。

1260年、アスカニア家では分割相続が行われ、ザクセンはザクセン=ヴィッテンベルク公国(Herzogtum Sachsen-Wittenberg)とザクセン=ラウエンブルク公国(Herzogtum Sachsen-Lauenburg)に分裂した。

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ザクセン諸侯

脚注=

注釈

  1. より正確には、彼らは「ローマ王」を「選定」する。「ローマ王」というが、実際にはドイツで選ばれるので実質はドイツ王である。選ばれた王は、ローマへ行って、ローマ教皇によって戴冠されて正規の「神聖ローマ皇帝」となる。しかし実際には、ドイツからアルプスを越えてローマへ行くのは困難で、途中の北イタリア地方の反乱やローマ教皇との不和によって正式な戴冠が実現しない場合もあった。後の時代になると、こうした手続を経ないで神聖ローマ皇帝を名乗るようになった。こうしたことから選「帝」侯ではなく「選定侯」や「選挙侯」などの訳語を用いる場合もある。

出典

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参考文献

関連項目

カテゴリ