「トリーア選帝侯」の版間の差分

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(選帝侯とは)
(歴代トリーア選帝侯)
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2016年12月27日 (火) 19:17時点における版

トリーア選帝侯(トリーアせんていこう、ドイツ語: Kurtrierまたはドイツ語: Kurfürstentum Trier)は神聖ローマ帝国選帝侯の一人である。

選帝侯とは

神聖ローマ帝国では、1198年から皇帝を選挙で決めるようになった。その投票権を持つ者を選帝侯(ドイツ語: Kurfürst)という。選帝侯は、始めはマインツ大司教マインツ選帝侯)、ケルン大司教ケルン選帝侯)、トリーア大司教トリーア選帝侯)、ライン宮中伯プファルツ選帝侯)の4人だった。この4名はライン川流域の有力者である。

13世紀になって、これにザクセン公ザクセン選帝侯)とブランデンブルク辺境伯ブランデンブルク選帝侯)、ボヘミア王ベーメン王)が加わり選帝侯は7名となった。17世紀にはプファルツ選帝侯に替わってバイエルン公バイエルン選帝侯)が加わり、さらにハノーファー公ハノーファー選帝侯)も加わった。

聖職者であるマインツ大司教、ケルン大司教、トリーア大司教を三聖界選帝侯(聖界諸侯)、世俗の領邦君主である選帝侯を世俗選帝侯(世俗諸侯)などとも言う。

トリーア大司教位

歴代トリーア選帝侯

就位年 退位年 名前 ドイツ名 英語名
1189 1212 ヨハン1世 Johann I John I
1212 1242 テオドリッヒ2世 Theoderich II Theodoric II
1242 1259 アルノルト2世 Arnold II Arnold II
1260 1286 ハインリヒ2世 Heinrich II Heinrich I
1286 1299   Boemund I Bohemond I
1300 1307   Diether Diether
1300 1306 ハインリヒ2世
(※対立司教)
Heinrich II|Heinrich II| 
1307 1354 バルドゥイン・フォン・ルクセンブルク Balduin Baldwin
1354 1361   Boemund II Bohemond II
1362 1388   Kuno II Kuno II
1388 1418 ヴェルナー Werner
1418 1430 オットー Otto
1430 1438   Raban
1439 1456 ヤコブ1世 Jakob I
1456 1503 ヨハン2世 Johann II John II of Baden
1503 1511 ヤコブ2世 Jakob II James II
1511 1531 リシャート Richard Richard
1531 1540 ヨハン3世 Johann III John III
1540 1547 ヨハン4世 Johann IV John IV Louis
1547 1556 ヨハン5世 Johann V John V
1556 1567 ヨハン6世 Johann VI John VI
1567 1581 ヤコブ3世 Jakob III James III
1581 1599 ヨハン7世 Johann VII John VII
1599 1623   Lothar Lothar von Metternich
1623 1652   Philipp Christoph Philipp Christoph
1652 1676   Karl Kaspar Charles II
1676 1711 ヨハン8世 Johann VIII John VIII
1711 1715 カール・ヨーゼフ・フォン・ロートリンゲン Karl III. Joseph Charles III
1716 1729 フランツ・ルートヴィヒ・フォン・デア・プファルツ Franz Ludwig Francis Louis
1729 1756 フランツ・ゲオルク・フォン・シェーンボルン Franz Georg Franz Georg
1756 1768 ヨハン9世フィリップ Johann IX. Philipp Johann Philipp
1768 1803   Clemens Wenzeslaus Clemens Wenceslaus


トリーア大司教も参照。

  • 2世紀から21世紀までのトリーア司教のリストは下記参照。

関連項目

  • 騎士戦争 - 1522年にトリーア選帝侯が攻撃されて始まった戦争。

日本語版

トリーア大司教(トリーアだいしきょう、ドイツ語:Erzbischof von Trier)は、カトリック教会の高位の司教で、神聖ローマ帝国選帝侯の一人。

トリーア司教座が設置されたのは4世紀である。中世になるとコブレンツなどライン川沿いにも領地を持ち、マインツ大司教ケルン大司教と並んで神聖ローマ帝国の有力聖界諸侯となった。14世紀、トリーア大司教となったルクセンブルク家バルドゥインが、兄ハインリヒ7世とその孫カール4世の皇帝選出に関わって影響力を拡大した。そのカール4世の金印勅書で、トリーア大司教は7人の選帝侯の一人に指定された。ナポレオンが登場すると、1801年のリュネヴィルの和約でトリーアはフランス領となり、皇帝選挙権を失った。その後、1806年に神聖ローマ帝国も解体された。

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