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ジョージ4世(ジョージ・オーガスタス・フレデリック George Augustus Frederick)はハノーバー朝時代のイギリスの国王(在位:1820年-1830年)である。
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===ハノーバー朝===
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イギリスでは、スチュワート家の女王アンが1714年に跡継ぎがいないまま崩御した。王位を継ぐ候補者は多数いたが、みなカトリックだった。そこで、プロテスタントとしては王位継承順位が最上位だったドイツのハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒが新王として迎えられることになた。ゲオルクはイングランド王として即位し、ジョージ1世と名乗ることになった。これによってイギリスとドイツの同盟関係が誕生し、両国に挟まれる格好となったフランスは危機感を強めた。
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カトリック側では、スチュワート家ジェームズ2世の血を継ぐ者を擁立して正統なイギリス王だと主張した。「ジェームズ」をラテン語では「Jacobus」というので、彼らはジャコバイトと呼ばれるようになった。ハノーバー朝の勢力を弱めたいフランスはこれを支援した。フランスの後ろ盾を得て、ジャコバイトはスチュワート家の人物を立て、スコットランドで反乱を起こした。そんなわけで、ハノーバー朝にとって当面の課題はジャコバイトの反乱軍の鎮圧となった。
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ジョージ1世の後を継いだジョージ2世もジャコバイトと戦った。ジョージ2世の長男は、父よりも早死してしまい、その子(ジョージ2世からみると孫)が次の王となった。これがジョージ3世である。ジョージ2世の子、[[カンバランド公ウィリアム・オーガスタス]](ジョージ3世から見ると叔父になる)は、幼少のジョージ3世にかわり、将軍として対ジャコバイトの戦いを率いた。
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===父のジョージ3世===
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ジョージ3世は1760年に祖父ジョージ2世の跡を継いで即位した。ジョージ1世や2世がドイツ人だったのに対し、ジョージ3世はイギリスで生まれ、イギリス人として育てられた。ドイツの血ゆえにイギリス人から距離を置かれた父祖たちの轍を踏まぬよう、ジョージ3世は厳しく躾けられ、苦労して育った。
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ジョージ3世は若い頃にサラ・レノックスという美女に恋をし、これを娶ろうとしたことがある。しかし周囲の反対で叶わなかった。サラはその後、ジョッキークラブの会長となるバンベリー准男爵と結婚している。ジョージ3世にはドイツから花嫁があてがわれ、1761年に結婚、翌年、長男ジョージ・オーガスタス・フレデリックが誕生した。これがのちのジョージ4世である。
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ジョージ3世は生真面目に過ぎたのか、やがて精神を蝕まれていった。大陸では七年戦争、アメリカ植民地では独立戦争が勃発し、
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ジョージ2世の代になってもジャコバイトとの戦争は続いた。
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ジョージ4世は、先王ジョージ3世の長男として1762年に生まれた。

2017年9月2日 (土) 18:05時点における版

ジョージ4世(ジョージ・オーガスタス・フレデリック George Augustus Frederick)はハノーバー朝時代のイギリスの国王(在位:1820年-1830年)である。

ハノーバー朝

イギリスでは、スチュワート家の女王アンが1714年に跡継ぎがいないまま崩御した。王位を継ぐ候補者は多数いたが、みなカトリックだった。そこで、プロテスタントとしては王位継承順位が最上位だったドイツのハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒが新王として迎えられることになた。ゲオルクはイングランド王として即位し、ジョージ1世と名乗ることになった。これによってイギリスとドイツの同盟関係が誕生し、両国に挟まれる格好となったフランスは危機感を強めた。

カトリック側では、スチュワート家ジェームズ2世の血を継ぐ者を擁立して正統なイギリス王だと主張した。「ジェームズ」をラテン語では「Jacobus」というので、彼らはジャコバイトと呼ばれるようになった。ハノーバー朝の勢力を弱めたいフランスはこれを支援した。フランスの後ろ盾を得て、ジャコバイトはスチュワート家の人物を立て、スコットランドで反乱を起こした。そんなわけで、ハノーバー朝にとって当面の課題はジャコバイトの反乱軍の鎮圧となった。

ジョージ1世の後を継いだジョージ2世もジャコバイトと戦った。ジョージ2世の長男は、父よりも早死してしまい、その子(ジョージ2世からみると孫)が次の王となった。これがジョージ3世である。ジョージ2世の子、カンバランド公ウィリアム・オーガスタス(ジョージ3世から見ると叔父になる)は、幼少のジョージ3世にかわり、将軍として対ジャコバイトの戦いを率いた。

父のジョージ3世

ジョージ3世は1760年に祖父ジョージ2世の跡を継いで即位した。ジョージ1世や2世がドイツ人だったのに対し、ジョージ3世はイギリスで生まれ、イギリス人として育てられた。ドイツの血ゆえにイギリス人から距離を置かれた父祖たちの轍を踏まぬよう、ジョージ3世は厳しく躾けられ、苦労して育った。

ジョージ3世は若い頃にサラ・レノックスという美女に恋をし、これを娶ろうとしたことがある。しかし周囲の反対で叶わなかった。サラはその後、ジョッキークラブの会長となるバンベリー准男爵と結婚している。ジョージ3世にはドイツから花嫁があてがわれ、1761年に結婚、翌年、長男ジョージ・オーガスタス・フレデリックが誕生した。これがのちのジョージ4世である。

ジョージ3世は生真面目に過ぎたのか、やがて精神を蝕まれていった。大陸では七年戦争、アメリカ植民地では独立戦争が勃発し、



ジョージ2世の代になってもジャコバイトとの戦争は続いた。




ジョージ4世は、先王ジョージ3世の長男として1762年に生まれた。