「ビーコン・コース」の版間の差分
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1603年7月に[[ジェームズ1世]]がイングランド王として即位するとすぐに、王はニューマーケットを娯楽基地として整備をはじめた。これがニューマーケット競馬場の始まりだ。が、残念ながら、その頃の個々のレースの記録は残っていないので、詳しいことは不明である。ビーコン・コースがいつから競馬で使われていたのかも記録が定かではないが、ニューマーケットの黎明期から使われていた走路だということは確からしい。 | 1603年7月に[[ジェームズ1世]]がイングランド王として即位するとすぐに、王はニューマーケットを娯楽基地として整備をはじめた。これがニューマーケット競馬場の始まりだ。が、残念ながら、その頃の個々のレースの記録は残っていないので、詳しいことは不明である。ビーコン・コースがいつから競馬で使われていたのかも記録が定かではないが、ニューマーケットの黎明期から使われていた走路だということは確からしい。 | ||
− | 17世紀には、まだ競馬は8マイル戦は当たり前に行われていた。このコースは「ロング・コース」(Long Course)と呼ばれていた。スタート地点はバブラム村(Babraham)にあり、<ruby> | + | 17世紀には、まだ競馬は8マイル戦は当たり前に行われていた。このコースは「ロング・コース」(Long Course)と呼ばれていた。スタート地点はバブラム村(Babraham)にあり、<ruby>隆線<rt>リッヂ</rt></ruby>づたいに、シックス・マイル・ボトム村(Six Mile Bottom)を経て、ニューマーケットの町にあるゴール地点、すなわち「<ruby>キングズ・スタンド<rt>国王の観戦所</rt></ruby>」(King's Stand)へと続いていた。このルートは、大雑把に言うと、今の国道A11号線・国道A14号線に相当する。 |
ただし、当時のキングズ・スタンドがどこにあったのかはわかっていない。いまの「キングズ・スタンド」とは別の場所で、現在よりももっと町中にあったらしいということは分かっている。 | ただし、当時のキングズ・スタンドがどこにあったのかはわかっていない。いまの「キングズ・スタンド」とは別の場所で、現在よりももっと町中にあったらしいということは分かっている。 | ||
このロング・コースのおおよそ中間地点にあたる4マイル<ruby>標識<rt>ポスト</rt></ruby>付近が、ビーコン・コースの発走地点である。 | このロング・コースのおおよそ中間地点にあたる4マイル<ruby>標識<rt>ポスト</rt></ruby>付近が、ビーコン・コースの発走地点である。 |
2020年9月14日 (月) 14:41時点における版
ビーコン・コース(Beacon COurse、B.C.、BC)はニューマーケット競馬場の走路の一つ。ゴールまでおよそ4マイル。記録では、17世紀初頭から1912年まで正規コースとして使用されていた。
「ビーコン」(beacon)とは狼火台のことで、かつて発走地点の近くに狼火台が置かれていたことに由来する。
1603年7月にジェームズ1世がイングランド王として即位するとすぐに、王はニューマーケットを娯楽基地として整備をはじめた。これがニューマーケット競馬場の始まりだ。が、残念ながら、その頃の個々のレースの記録は残っていないので、詳しいことは不明である。ビーコン・コースがいつから競馬で使われていたのかも記録が定かではないが、ニューマーケットの黎明期から使われていた走路だということは確からしい。
17世紀には、まだ競馬は8マイル戦は当たり前に行われていた。このコースは「ロング・コース」(Long Course)と呼ばれていた。スタート地点はバブラム村(Babraham)にあり、隆線づたいに、シックス・マイル・ボトム村(Six Mile Bottom)を経て、ニューマーケットの町にあるゴール地点、すなわち「キングズ・スタンド」(King's Stand)へと続いていた。このルートは、大雑把に言うと、今の国道A11号線・国道A14号線に相当する。
ただし、当時のキングズ・スタンドがどこにあったのかはわかっていない。いまの「キングズ・スタンド」とは別の場所で、現在よりももっと町中にあったらしいということは分かっている。
このロング・コースのおおよそ中間地点にあたる4マイル標識付近が、ビーコン・コースの発走地点である。