「ジェフリーフリアS」の版間の差分
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2015年5月14日 (木) 01:55時点における版
ジェフリーフリアステークス(Geoffrey Freer Stakes)は、 8月のニューベリー競馬場の約13ハロン(約2600m)で行われる。3歳馬にとってはセントレジャーの距離が持つかの試金石となる長距離戦であり、凱旋門賞を目指す長距離戦線の古馬にとっては2400mに距離が短縮になっても対応できるかを見極めるための一戦となる。
目次
競走条件
- 開催競馬場 ニューベリー競馬場
- 開催時期 8月
- 格付け G3
- 総賞金 £60,000(2015年IFHA)
- 1着賞金 £34,026(2015年IFHA)
- 距離 芝 13ハロン61ヤード (約2670.9メートル)
- 出走条件 3歳以上
- 負担重量
- 3歳 牡騙 8ストーン7ポンド(約53.97Kg)
- 4歳 牡騙 9ストーン5ポンド(約59.42Kg)
- 牝馬は3ポンド減量
- G1勝ち馬は6ポンド(約2.72Kg)加増
- G2勝ち馬は4ポンド(約1.81Kg)加増
- G3勝ち馬は2ポンド(約0.90Kg)加増
- ※前年11月以降の1マイル4ハロン(約2414m)以上の競走が対象で、2歳戦は除外
概要
ジェフリーフリアステークスは晩夏のニューベリー競馬場で行われる。
3歳馬は、9月のセントレジャー(約2937m)を目指すため、まずはジェフリーフリアSで2400mを超える長距離を持ちこたえられるのかどうかが試される。創設1年目の優勝馬リッジウッド(Ridge Wood)がその典型で、リッジウッドは春のクラシックには出走さえしなかったが、夏に力をつけてこのレースを勝ち、セントレジャーに挑んで勝った。
中長距離戦線の古馬にとっては、秋の大目標はフランスの凱旋門賞(2400m)である。これまで3000m級のレースを走ってきたステイヤーにとって、2400メートルという忙しい距離に対応できるのかどうか、まずは2670mのジェフリーフリアSで様子を見ることになる。
かつての勝馬には、シャルロットタウン(Charlottown)、レヴモス(Levmoss)、ハイライン(High Line)、イルドブルボン(Ile de Bourbon)、ニニスキ(Niniski)、アルドロス(Ardross)、ベイヌーン(Baynoun)といった名ステイヤーが名を連ねている。1980年代から90年代にかけては、ムーンマッドネス、イブンベイ、ドラムタップスといった、ジャパンカップ出走馬が勝っていて、日本でもそれなりに知られたG2戦だった。
しかし2000年代にはそうした重要性が低下し、2006年にはG3に格下げされてしまった。同じニューベリー競馬場では9月に凱旋門賞へのステップレースとなるべくアークトライアル(約2217m)が創設されて、2004年にはG3となったが、そちらから凱旋門賞へ向かった馬はほとんどいない。
歴史
ニューベリー競馬場の再生と創設
ニューベリー競馬場は、1905年にエドワード7世の助力で新規に開設された。
ニューベリーのあるオックスフォードシャーは、競走馬の調教地としてはニューマーケットに次ぐ規模があり、特にランボーンやキングスクレアなどが有名である。3頭の三冠馬を育てたことで知られるジョン・ポーター調教師もキングスクレアを本拠としており、ポーター師はニューベリーへ新しい競馬場を作ろうと計画した。しかし、その頃イギリス各地では低質な競馬場が乱立し、あちこちで不祥事や問題を起こしていて、ジョッキークラブは新設競馬場を認めない方針を出していた。
何度申請しても却下され、途方に暮れたポーター師は、イギリス王エドワード7世に相談した。エドワード7世は自らジョッキークラブにかけあって、ニューベリー競馬場の許可を特別に引き出した。こうしたわけで、ニューベリー競馬場は、王立のアスコット競馬場に次いで、イギリス王室と縁のある競馬場となっている。
第一次世界大戦ではニューベリー競馬場には捕虜のドイツ兵の収容所が設けられたが、大きな影響はなかった。しかし、第二次世界大戦では競馬場の存廃に関わる致命的な影響を受けた。競馬場は、ノルマンディー上陸作戦のための主要な補給基地となり、アメリカ軍の膨大な軍需物資の集積場所となった。大戦が終わると、各地の競馬場は次々と競馬を再開したが、ニューベリー競馬場の米軍基地は戦後もしばらく残され、競馬どころではなかった。
オックスフォードシャー・ステークスの創設
アメリカ軍が撤収したあとの競馬場は、悲惨なことになっていた。芝も土壌も荒れ果て、あちこちに壊れた飛行機や重機の残骸が放棄され、地面には建物の基礎が土に埋まったまま残されていた。これを長い時間かけて復興したのが、ニューベリー競馬場の責任者クラーク・オブ・ザ・コースだったジェフリー・フリアである。競馬場が再開にこぎつけたのは1949年だった。
こうした事情で、ニューベリー競馬場の多くの重賞競走は1949年創設のものが多い。この競走以外にも、フレッドダーリンS、ホーリスヒルS、ハンガーフォードSなどもそうである。
復興のなったニューベリー競馬場で、ジェフリー・フリアは新しく「オックスフォードシャー・ステークス(Oxfordshire Stakes)」を創設した。長年に渡って各地のハンディキャッパーを務めたジェフリー・フリアが考案したこのレースは、春のクラシック戦線を終え、秋のセントレジャーへ向けて長距離戦のスタミナを試そうとする3歳馬と、長距離戦線で活躍する古馬とが、2600メートルという微妙な距離で対決するもので、競馬ファンがワクワクするような企画だった。
実際に、初年度の優勝馬リッジウッド(Ridge Wood)はそのあとセントレジャーに勝って、オックスフォードシャーSの名を広めた。1957年にもコートハーウェル(Court Harwell)がセントレジャーに2着に入った。1966年にはダービー馬シャルロットタウン(Charlottown)が秋競馬の始動戦にしたし、元首相のウィンストン・チャーチルの持ち馬ハイハットや、エリザベス女王のホープフルヴェンチャー(Hopeful Venture)の勝利も、この競走の知名度アップに一役買った。1968年の勝馬レヴモス(Levmoss)は、翌年アスコット金杯と凱旋門賞を勝ち、ヨーロッパ長距離界に君臨した。
ジェフリー・フリア
ジェフリー・フリアは1944年からハンディキャッパーを努め、ニューベリー競馬場のみならず、ニューマーケット、ソールズベリー、ウォリック、マンチェスターの競馬場の運営にも携わった。1965年からは、イギリスでパター・レース・コミッティーの評議委員を務め、いまのグレード制の原点であるグループ・レース制度の創設にも関わった。 ジェフリー・フリアは競走馬の生産も行った。代表的な生産馬は牝馬のトファネラ(Tofanella)である。トファネラはイタリアのフェデリコ・テシオのもとでテネラニ(Tenerani)を産んだ。テネラニは名馬リボーの父である。
ジェフリー・フリア・ステークス
ジェフリー・フリアは1968年に死去した。彼を追悼するため、1969年からこのレースは「ジェフリー・フリア・ステークス(Geoffrey Freer Stakes)」に改称した。
1971年からイギリスでグループ制が始まり、ジェフリーフリアSはG2に格付けされた。この年をまたいで、1970年から1971年にかけて、ハイラインが連覇して父子制覇を遂げたが、1980年にはハイライン産駒のニコラスビル(Nicholas Bill)も勝って、父系3代制覇を遂げている。
1978年のイルドブルボン(この年の全欧3歳チャンピオン)、1979年のニニスキ(Niniski)(このあと愛セントレジャーと仏ロワイヤルオーク賞制覇)など3歳馬のトップクラスが勝った。1987年の優勝馬ムーンマッドネスは前年のセントレジャーの優勝馬で、1987年にはサンクルー大賞でトニービンを破って勝ち、ジャパンカップでも5着に好走した。
1989年の優勝馬イブンベイはジャパンカップで歴史的なハイペースを作り出し、世界レコード更新の要因になったのも印象的である。
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986年からアメリカ・ケンタッキーの生産者ウォールマック牧場(Walmac International)が5年間スポンサーを務めたのを皮切りに、様々なスポンサーが入れ替わっている。なかでも印象的なのは「イブンベイ」である。競走馬のイブンベイがこのレースを勝ったのは1989年だが、その馬主だったファハド・サルマン氏は3年分のスポンサー料を提供し、1991年から1993年のこの競走を「イブンベイ・ジェフリーフリアS」と命名した。
このほか、トリプルプリント社(1994-1997)、スタン・ジェイムズ(2001-2005)、スポーツマン新聞(2006)、CGA(2007-2011)、Betfred(2012-)などとなっている。
歴代優勝馬
- 『The Breedon Book of HORSE RACING RECORDS』、Galopp-Gieger、RacinPost、pedigree.com等から作成。
- 「*」印は日本輸入馬。
オックスフォードシャーステークス(1949-1968)
年 | 優勝馬 | 齢 | 優勝馬の父 | 馬主 | 2着馬 | 3着馬 | 備考 |
1949 | Ridge Wood | 3 | Bois Roussel | Geoffrey Smith | 優勝馬はこのあとセントレジャー制覇。 | ||
1950 | Tilloy | 3 | Birikil | Lord Carnarvon | |||
1951 | Le Sage | 3 | Chamossaire | Mr S. Sanger | |||
1952 | Westinform | 3 | Birikan | W T Wheeler | 。 |