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− | 県では全国から入植者を募って4戸を集め、1995(平成7)年に公社を設立して大根生産を再開した。ところが翌1996(平成8)年に隣県の[[岡山県|岡山]]で[[O-157]]による食中毒事件で8名の死者を出したのを皮切りに、この年、O-157による大規模な食中毒騒動が起きた。7月に大阪で起きた食中毒では[[カイワレ大根]]が原因と[[厚生省]]が発表した<ref group="注">最終的な調査では原因食材は特定されず、のちの裁判で風評被害を及ぼした責任を問われて国が敗訴した。</ref> | + | 県では全国から入植者を募って4戸を集め、1995(平成7)年に公社を設立して大根生産を再開した。ところが翌1996(平成8)年に隣県の[[岡山県|岡山]]で[[O-157]]による食中毒事件で8名の死者を出したのを皮切りに、この年、O-157による大規模な食中毒騒動が起きた。7月に大阪で起きた食中毒では[[カイワレ大根]]が原因と[[厚生省]]が発表した<ref group="注">最終的な調査では原因食材は特定されず、のちの裁判で風評被害を及ぼした責任を問われて国が敗訴した。</ref>ことでダイコン価格が下落、大雨や冷夏も相まってダイコン生産の採算がとれなくなり、最終的には全戸が赤字を抱えて撤退した。いまでも大幅に規模を縮小してダイコンを栽培している農家もいるが、山中の耕作放棄地をブナ林へ戻す再生事業も行われている<ref name="野田"/><ref name="復元会"/>。 |
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2015年10月6日 (火) 22:47時点における版
河合谷高原 /いちょうS /袋川 /岩美郡 テンプレート:Infobox 山
河合谷高原(かわいだにこうげん)は扇ノ山北麓の標高1000m付近に広がる高原[1]。
地形・地質
河合谷高原は扇ノ山の北麓西側の標高900-1100m付近にあり、広さはおよそ1000haある[1]。
標高1309mの扇ノ山は第四紀を中心に火山活動をした死火山である。火山活動をしていた頃の地形は侵食によってあらかた失われているが、標高1000m付近には鮮新世から更新世に噴出した溶岩が何度か流れ固まった溶岩台地が四方に形成されている。「扇ノ山」の名は、これらの溶岩台地のなだらかな尾根の姿を左右にひらいた扇に見立てて呼ばれるようになったものとされている[2][1][3]。
こうした溶岩台地には南西斜面の広留野高原(若桜町・八頭町)、北西斜面の河合谷高原(鳥取市・岩美町)、北東斜面の上山高原(新温泉町)、畑ヶ平高原(新温泉町)がある[2]。河合谷高原は安山岩の溶岩台地の上に大山由来の火山灰が積層し、表土は黒ボクになっている[4][5][6]。
溶岩台地の端部は標高700-800m付近で激しく侵食されて急峻な断崖やV字谷をつくりだしており、谷頭部には滝や速瀬が発達している。河合谷高原には千代川水系の袋川の源流があり、高原の西側に雨滝を中心に「四十八滝」と呼ばれる数多くの滝がある[注 1]。一方、北側には堰止湖の天神池があり、ここを源流とする蒲生川が天神滝を経て北へ向かっている[1]。
自然
河合谷高原でみられる主な植物としては、草花でリンドウ、キリンソウ、ムラサキシキブ、ウメバチソウ、イワウチワがあげられる。自然林の樹木としては、ヒメモチ、ブナ、ミネカエデ、ウリハカエデ、イタヤカエデ、ウコギ、ホオノキなどがあげられる[1]。明治以降の開発で失われたブナ林などの植生を復元させようという取り組みも行われている[7]。
特徴的な動物としては、鳥類でブッポウソウ、オオルリ、セッカ、蝶類でシータテハ、ギフチョウ、ウスイロヒョウモンモドキが挙げられる[1]。
観光・行楽
河合谷高原へは、西の鳥取市国府町側から広域基幹林道が整備されているほか、北側の岩美町からの車道もあり、自家用車で行くことができる[8][1]。
春はウド、ゼンマイ、ワラビ、スズノコ(ササの一種スズタケの若芽)などの山野草が自生し、山菜採りの行楽地になっている。夏はキャンプ、秋は紅葉、冬は山スキーで人気がある[9][1][10]。
特にスキーについては、氷ノ山よりも日本海側に近く、北斜面の河合谷高原は近隣でも降雪量が多いうえに雪が長く残るため、西日本としてはシーズンの遅くまでスキーが楽しめる場所として知られている。かつてはスキー場が整備されており、西日本では大山に次ぐ「第二の」ゲレンデとされていた。
高原には遊歩道なども整備され、公園として維持管理されている[11]
小史
江戸時代には鳥取藩が因幡国と但馬国の国境を警備するため、河合谷高原に武士団を置いていた[1][3]。また、豊臣秀吉による鳥取攻略遠征の際には、河合谷高原に陣を張ったと伝えられている。
- 河合谷牧場
明治時代には、牛の放牧地として利用されるようになった。特に大正中期には「小林牧場」が乳牛の育成で最盛期をむかえたが、昭和20年代に姿を消した。1977(昭和52)年から1980(昭和55)年にかけて県営の放牧・採草地が設けられ、共同の委託牧場で夏季に200頭前後の乳牛の放牧・育成と牧草の採取を行っている[10][1][3][12][13]。
- 河合谷大根
1970年代の終わりごろから、高原での早生ダイコンの大規模生産の試みがはじまった。山麓の農家9戸が約40haの畑を開墾し、比較的連作障害の顕著なダイコンの栽培のため毎年ブナ林を伐採して畑をつくっていった。当時5億円あまりの県の予算を投じて行われた事業で、1989(平成元)年には1年の販売実績が1億円を超えるなど一定の成果を得た。しかし数年後には、高齢化によって9戸の農家全てが撤退してしまった[14][1]。
県では全国から入植者を募って4戸を集め、1995(平成7)年に公社を設立して大根生産を再開した。ところが翌1996(平成8)年に隣県の岡山でO-157による食中毒事件で8名の死者を出したのを皮切りに、この年、O-157による大規模な食中毒騒動が起きた。7月に大阪で起きた食中毒ではカイワレ大根が原因と厚生省が発表した[注 2]ことでダイコン価格が下落、大雨や冷夏も相まってダイコン生産の採算がとれなくなり、最終的には全戸が赤字を抱えて撤退した。いまでも大幅に規模を縮小してダイコンを栽培している農家もいるが、山中の耕作放棄地をブナ林へ戻す再生事業も行われている[14][7]。
★その他★
雨滝(四十八滝) 大鹿滝 諸鹿七滝
脚注・出典
注釈
出典
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 『鳥取県大百科事典』p97「河合谷高原」
- ↑ 2.0 2.1 山陰海岸ジオパーク館 雨滝のみち2015年10月6日閲覧。
- ↑ 3.0 3.1 3.2 『日本地名大辞典 31 鳥取県(角川日本地名大辞典)』p261-262「河合谷高原」「河合谷牧場」
- ↑ 国土交通省 中国地方整備局 鳥取河川国道事務所袋川流域の山々の伝言 河合谷高原 (PDF) 2015年10月7日閲覧。
- ↑ 鳥取市役所・国府町総合支所 産業建設課雨滝四十八滝物語2015年10月3日閲覧。
- ↑ 鳥取県生活環境部 緑豊かな自然課 雨滝のみち2015年10月3日閲覧。
- ↑ 7.0 7.1 森林を守ろう!山陰ネットワーク会議 河合谷高原の森林復元を考える会2015年10月3日閲覧。
- ↑ ひょいと因但観光ナビ 河合谷高原2015年10月3日閲覧。
- ↑ 岩美町 河合谷高原2015年10月4日閲覧。
- ↑ 10.0 10.1 鳥取市役所・国府町総合支所 産業建設課河合谷高原2015年10月3日閲覧。
- ↑ 国土交通省 中国地方整備局 鳥取河川国道事務所河合谷高原の四広場 (PDF) 2015年10月2日閲覧。
- ↑ 公益財団法人 鳥取県畜産振興協会 河合谷牧野2015年10月3日閲覧。
- ↑ 『鳥取県大百科事典』p52「委託牧場」
- ↑ 14.0 14.1 鳥取県議員 野田修 公式HP 2008年5月12日付 河合谷の大根畑跡地を視察2015年10月7日閲覧。
参考文献
- 国土交通省中国地方整備局・鳥取河川国道事務所
- 鳥取県庁
- 蒲生川水系河川整備基本方針 (PDF)
- 蒲生川水系 河川整備計画 (PDF)
- 地勢及び地質 (PDF)
- 『鳥取県大百科事典』,新日本海新聞社鳥取県大百科事典編纂委員会・編,新日本海新聞社,1984
- 『鳥取県境の山』,日本山岳会山陰支部・山陰の山研究委員会・編,日本山岳会山陰支部・刊,1999
- 『岩美町誌』,岩美町誌刊行委員会,1968
- 『鳥取県の地名(日本歴史地名大系)』,平凡社,1992
- 『日本地名大辞典 31 鳥取県(角川日本地名大辞典)』,角川書店,1982,ISBN 978-4040013107
- 『全國温泉案内』,溫泉研究會,1924