「Henry Savile」の版間の差分
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イングランド中部の[[w:ノッティンガムシャー|ノッティンガムシャー]]にあるラフォード・アビー([[:en:Rufford Abbey]])に所領を持つサビル准男爵家の末裔。実父は第[[8代スカボロー伯爵]]ジョン・ラムリー=サビル([[:en:John Lumley-Savile, 8th Earl of Scarbrough]]、1788-1856)である。母は正式な妻ではなかったので爵位を継ぐことはできなかったが、ラドフォード・アビーの資産、とりわけサラブレッドの牧場と競走馬を受け継いだ。 | イングランド中部の[[w:ノッティンガムシャー|ノッティンガムシャー]]にあるラフォード・アビー([[:en:Rufford Abbey]])に所領を持つサビル准男爵家の末裔。実父は第[[8代スカボロー伯爵]]ジョン・ラムリー=サビル([[:en:John Lumley-Savile, 8th Earl of Scarbrough]]、1788-1856)である。母は正式な妻ではなかったので爵位を継ぐことはできなかったが、ラドフォード・アビーの資産、とりわけサラブレッドの牧場と競走馬を受け継いだ。 | ||
− | もともとサビル准男爵位をもつサビル家は8代目のジョージ・サビル([[:en:Sir George Savile, 8th Baronet]]) | + | もともとサビル准男爵位をもつサビル家は8代目のジョージ・サビル([[:en:Sir George Savile, 8th Baronet]])が跡継ぎを残さず亡くなったため、その甥のリチャード・ラムレー=サンダーソンが家を継いだ。このリチャードが後にスカボロー伯爵位を継いだので、伯爵家は「スカボロー伯爵位」と「サビル准男爵位」の両方を所有していたのである。 |
8代スカボロー伯爵ジョンは生涯正式な妻を持たなかったが、非嫡出の4人の息子と1人の娘がいた。8代スカボロー伯爵は1856年に死去し、(正式な子がいなかったので)伯爵位は従兄弟のリチャード・ラムリーが9代スカボロー伯爵となったのだが、ラフォードアビーの土地をはじめとした財産は、あらかじめ次男のヘンリーに遺贈していた。 | 8代スカボロー伯爵ジョンは生涯正式な妻を持たなかったが、非嫡出の4人の息子と1人の娘がいた。8代スカボロー伯爵は1856年に死去し、(正式な子がいなかったので)伯爵位は従兄弟のリチャード・ラムリーが9代スカボロー伯爵となったのだが、ラフォードアビーの土地をはじめとした財産は、あらかじめ次男のヘンリーに遺贈していた。 |
2016年3月13日 (日) 20:13時点における版
ヘンリー・ラムリー=サビル(Captain Henry Lumley-Savile,?-1881)
イングランド中部のノッティンガムシャーにあるラフォード・アビー(en:Rufford Abbey)に所領を持つサビル准男爵家の末裔。実父は第8代スカボロー伯爵ジョン・ラムリー=サビル(en:John Lumley-Savile, 8th Earl of Scarbrough、1788-1856)である。母は正式な妻ではなかったので爵位を継ぐことはできなかったが、ラドフォード・アビーの資産、とりわけサラブレッドの牧場と競走馬を受け継いだ。
もともとサビル准男爵位をもつサビル家は8代目のジョージ・サビル(en:Sir George Savile, 8th Baronet)が跡継ぎを残さず亡くなったため、その甥のリチャード・ラムレー=サンダーソンが家を継いだ。このリチャードが後にスカボロー伯爵位を継いだので、伯爵家は「スカボロー伯爵位」と「サビル准男爵位」の両方を所有していたのである。
8代スカボロー伯爵ジョンは生涯正式な妻を持たなかったが、非嫡出の4人の息子と1人の娘がいた。8代スカボロー伯爵は1856年に死去し、(正式な子がいなかったので)伯爵位は従兄弟のリチャード・ラムリーが9代スカボロー伯爵となったのだが、ラフォードアビーの土地をはじめとした財産は、あらかじめ次男のヘンリーに遺贈していた。
8代スカボロー伯爵は馬産家で、ヨークシャーのティクヒル(Tickhill)に牧場をもっていた。この牧場に受け継がれた牝系から2号族のファミリーが発展してゆくことになる。だが、8代スカボロー伯爵は、自身が生産した最高のサラブレッドの活躍を見ることなく1856年に亡くなってしまう。ちょうどその年に生まれたばかりのニューミンスター産駒の牡馬(Musjid)は、馬主になるはずだったスカボロー伯爵の死によって競売にかけられ、安値で売られていった。そして3年後の1859年にダービーを勝つのである。
ヘンリー・ラムリー=サビルは8代スカボロー伯爵がラドフォード・アビーの資産や繁殖牝馬を受け継いだ。この中に2号族の分枝2-nのファミリーの系統がいて、Clinker mare(1816)、Langar mare(1837)、Gardham mare(1845)と続き、やがてパリ大賞初代優勝馬のThe Rangerやダービー馬Cremorneが出て、Cremorneの全姉Mabilleは新たに2-oの系統の始祖となるのである。