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 '''スタンリー・ハウス厩舎'''(Stanley House Stable)は、[[ニューマーケット]]にあった[[ダービー伯爵]]の厩舎である。
 
 '''スタンリー・ハウス厩舎'''(Stanley House Stable)は、[[ニューマーケット]]にあった[[ダービー伯爵]]の厩舎である。
  
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==16代ダービー伯爵とベドフォード・ロッジ厩舎==
 
 フレデリック・スタンリーは、1893年に[[第16代ダービー伯爵]]を相続すると、競馬界でのダービー家の復権をめざして[[ニューマーケット]]に新しい厩舎を開いた。これを'''ベドフォード・ロッジ厩舎'''(Bedford Lodge Stable)と言った。
 
 フレデリック・スタンリーは、1893年に[[第16代ダービー伯爵]]を相続すると、競馬界でのダービー家の復権をめざして[[ニューマーケット]]に新しい厩舎を開いた。これを'''ベドフォード・ロッジ厩舎'''(Bedford Lodge Stable)と言った。
  
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 ベドフォード・ロッジ厩舎の調教師に任じられたのは、当時まだ33歳の若い[[ジョージ・ラムトン]]である。ラムトンはこの年に障害騎手から調教師に転向したばかりで、調教師としての実績が皆無だった。そのラムトンに白羽の矢を立てたのは、16代ダービー伯爵の息子、エドワード(のちの17代ダービー伯爵)である。エドワードはラムトンの秘められた才能を見抜き、父を説き伏せて無名のラムトンを抜擢したのだった。
  
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 厩舎を任されたラムトンは、その翌年である1864年にベドフォード・ロッジ厩舎に隣接するセフトン牧場から1頭の牝馬を買い入れた。これが[[カンタベリーピルグリム]]であるカンタベリーピルグリムはオークス馬になり、16代ダービー伯爵にクラシックの栄光をもたらしたばかりか、繁殖牝馬に上がって牧場にもどると、[[チョーサー]]や[[スィンフォード]]を産み、ダービー家の栄光時代を築くことになる。
  
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==スタンリー・ハウス厩舎の開設==
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 1901年から、ベドフォード・ロッジ厩舎では伝染病に悩まされるようになった。さまざまな対策を講じても事態は終息せず、とうとう1903年には厩舎ごと他所へ移転することに決めた。
  
スタンレーハウス厩舎は、1903年に[[16代ダービー伯爵]]が創立した。はじめは「スタンレー・ハウス」というダービー伯爵の館の附属厩舎の扱いだった。
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 移転先になったのが、お隣のセフトン牧場である。16代ダービー伯爵は、所有者であるモントローズ公爵からセフトン牧場を買い受け、1903年に見事なヴィクトリア建築の建物を備えた新厩舎を設立した。これが'''スタンリー・ハウス厩舎'''(Stanley House Stable)である。
  
[[ジョージ・ラムトン]]調教師が
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 16代ダービー伯爵とラムトン調教師のコンビは、スタンリー・ハウス厩舎を拠点に1906年にオークス馬キーストンII([[Keystone II]])を送り出した。その後もスタンリー・ハウス厩舎からは数々の名馬を世に出た。彼らの勝鞍は1000を超える。
  
[[ベドフォード・ロッジ厩舎]]
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[[category:厩舎]]
[[ベドフォードロッジ厩舎]]
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[[ベドフォードロッジ]]
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[[ベドフォード・ロッジ]]
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[[Bedford Lodge]]
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[[Bedford Lodge Stable]]
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[[スタンリー・ハウス厩舎]]
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[[スタンリー・ハウス]]
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[[スタンレー・ハウス厩舎]]
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[[スタンレーハウス厩舎]]
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[[Stanley House]]
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[[Stanley House Stable]]
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2016年3月4日 (金) 13:23時点における最新版

 スタンリー・ハウス厩舎(Stanley House Stable)は、ニューマーケットにあったダービー伯爵の厩舎である。

16代ダービー伯爵とベドフォード・ロッジ厩舎

 フレデリック・スタンリーは、1893年に第16代ダービー伯爵を相続すると、競馬界でのダービー家の復権をめざしてニューマーケットに新しい厩舎を開いた。これをベドフォード・ロッジ厩舎(Bedford Lodge Stable)と言った。

 ベドフォード・ロッジ厩舎の調教師に任じられたのは、当時まだ33歳の若いジョージ・ラムトンである。ラムトンはこの年に障害騎手から調教師に転向したばかりで、調教師としての実績が皆無だった。そのラムトンに白羽の矢を立てたのは、16代ダービー伯爵の息子、エドワード(のちの17代ダービー伯爵)である。エドワードはラムトンの秘められた才能を見抜き、父を説き伏せて無名のラムトンを抜擢したのだった。

 厩舎を任されたラムトンは、その翌年である1864年にベドフォード・ロッジ厩舎に隣接するセフトン牧場から1頭の牝馬を買い入れた。これがカンタベリーピルグリムであるカンタベリーピルグリムはオークス馬になり、16代ダービー伯爵にクラシックの栄光をもたらしたばかりか、繁殖牝馬に上がって牧場にもどると、チョーサースィンフォードを産み、ダービー家の栄光時代を築くことになる。

スタンリー・ハウス厩舎の開設

 1901年から、ベドフォード・ロッジ厩舎では伝染病に悩まされるようになった。さまざまな対策を講じても事態は終息せず、とうとう1903年には厩舎ごと他所へ移転することに決めた。

 移転先になったのが、お隣のセフトン牧場である。16代ダービー伯爵は、所有者であるモントローズ公爵からセフトン牧場を買い受け、1903年に見事なヴィクトリア建築の建物を備えた新厩舎を設立した。これがスタンリー・ハウス厩舎(Stanley House Stable)である。

 16代ダービー伯爵とラムトン調教師のコンビは、スタンリー・ハウス厩舎を拠点に1906年にオークス馬キーストンII(Keystone II)を送り出した。その後もスタンリー・ハウス厩舎からは数々の名馬を世に出た。彼らの勝鞍は1000を超える。