「シュトゥルム・ウント・ドラング」の版間の差分

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ドイツでは中世の前半にキリスト教文学が育まれ、中世の後半からは『[[ニーベルンゲンの歌]]』に代表されるような騎士文学が勃興した<ref name="佐藤p8"/>。16世紀に入ると[[ルネサンス]]がドイツにも伝わり、[[人文主義]]、すなわち「理性」や「悟性」によって教会の権威や封建的な因習から解放し、個人の自由を実現しようという風潮が広まった<ref name="佐藤p36"/>{{refnest|group="注"|この風潮を下地として[[マルティン・ルター|ルター]]による[[宗教改革]]が行われ、ルターによる聖書のドイツ語訳によって[[新高ドイツ語]]が生まれ、これが現代ドイツ語の直接のもとになった<ref name="佐藤p36"/>。}}。
 
ドイツでは中世の前半にキリスト教文学が育まれ、中世の後半からは『[[ニーベルンゲンの歌]]』に代表されるような騎士文学が勃興した<ref name="佐藤p8"/>。16世紀に入ると[[ルネサンス]]がドイツにも伝わり、[[人文主義]]、すなわち「理性」や「悟性」によって教会の権威や封建的な因習から解放し、個人の自由を実現しようという風潮が広まった<ref name="佐藤p36"/>{{refnest|group="注"|この風潮を下地として[[マルティン・ルター|ルター]]による[[宗教改革]]が行われ、ルターによる聖書のドイツ語訳によって[[新高ドイツ語]]が生まれ、これが現代ドイツ語の直接のもとになった<ref name="佐藤p36"/>。}}。
  
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18世紀に入ると、[[啓蒙思想]]がドイツにも入ってきた。啓蒙思想はオランダで興り、イギリスやフランスを経てきたものである。「啓蒙思想」は16世紀の人文主義を下地として醸成されたものであり、「旧来の迷信・因習などの不合理なものを理性によって批判し、それへの従属から脱却して、人間の自由と降伏を獲得」しようという思想だった。
  
  

2016年9月23日 (金) 12:50時点における版

冒頭文

シュトゥルム・ウント・ドラング(独:Sturm und Drang) とは、18世紀後半にドイツで見られた革新的な文学運動である。

呼称

この名称は、ドイツの劇作家であるフリードリヒ・マクシミリアン・クリンガー1776年に書いた同名の戯曲に由来している。時期は、1767年から1785年までとする見方がもっぱらであるが、1769年から1786年、もしくは1765年から1795年とする見方もされる。

日本でのシュトゥルム・ウント・ドラングは「疾風怒濤」と和訳されたために「嵐と大波」という意味で理解されることも多いが、ドイツ語から直訳するならば「嵐と衝動」が正しい。 英語では「Storm and Stress(嵐と圧力)」や「Storm and Urge(嵐と衝動)」などと訳されているようである。また片仮名表記では「シュトゥルム」は「シュトルム」、「ドラング」は「ドランク」とも表記されることがある。

ドイツ文学史における位置づけ

ドイツでは中世の前半にキリスト教文学が育まれ、中世の後半からは『ニーベルンゲンの歌』に代表されるような騎士文学が勃興した[1]。16世紀に入るとルネサンスがドイツにも伝わり、人文主義、すなわち「理性」や「悟性」によって教会の権威や封建的な因習から解放し、個人の自由を実現しようという風潮が広まった[2][注 1]

しかしそれに続く17世紀はドイツ文学にとって「不毛」な世紀だったと評されている[注 2]。17世紀の前半はドイツ全土が三十年戦争の戦地となって荒廃し、キリスト教権威が力を盛り返して文学は「暗黒時代」へと逆戻りした。後半は外国の文学の輸入・模倣が行われた[3]

18世紀に入ると、啓蒙思想がドイツにも入ってきた。啓蒙思想はオランダで興り、イギリスやフランスを経てきたものである。「啓蒙思想」は16世紀の人文主義を下地として醸成されたものであり、「旧来の迷信・因習などの不合理なものを理性によって批判し、それへの従属から脱却して、人間の自由と降伏を獲得」しようという思想だった。


一般に17世紀のドイツ文学は「不毛」



古典主義啓蒙主義に異議を唱え、理性に対する感情の優越を主張し、後のロマン主義へとつながっていった。代表的な作品として、ゲーテの史劇『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』(1773年)や小説『若きウェルテルの悩み』(1774年)、シラーの戯曲『群盗』(1781年)や悲劇『たくらみと恋』(1784年)など。クラシック音楽では中期のハイドンの名が挙げられる。

代表作

脚注

注釈

  1. この風潮を下地としてルターによる宗教改革が行われ、ルターによる聖書のドイツ語訳によって新高ドイツ語が生まれ、これが現代ドイツ語の直接のもとになった[2]
  2. 試みに他のドイツ文学史を手にされるならば、十七世紀にさかれた分量があまりにも少ないことに驚かされるであろう。(中略)そしてみないい合わせたように不毛という結論 - 佐藤晃一『ドイツ文学史』p56「十七世紀文学の位置づけのために」より抜粋[3]

出典

  1. 佐藤晃一『ドイツ文学史』p8-34「中世」
  2. 2.0 2.1 佐藤晃一『ドイツ文学史』p36-46「宗教改革と人文主義」
  3. 3.0 3.1 佐藤晃一『ドイツ文学史』p46-58「十七世紀」

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参考文献

  • 『ドイツ文学史』,佐藤晃一,明治書院,1972,2000(16版),ISBN 4625480310
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