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1959年生まれの[[リュック・ベッソン]]は、15歳の頃から映画に興味をもち<ref name="FM1-II-27"/>、18歳で本気で映画の道を志すことを決めた<ref name="FM1-II-28"/>。まもなく『Le Pétite Siren{{refnest|group="注"|この作品はモノクロの10分の短編。夜の海辺で女性が男を海遊びに誘う。その後、その男は帰ってこない。これが何度か繰り返される。この女に惹かれた男性が、もしも自分の愛が本物であるならば人魚が迎えに来るはずだと信じ、重りを携えて海の底に向かう<ref name="FM1-II-28"/>。本作は後の『[[グラン・ブルー (映画)|グラン・ブルー]]』の原型とされている。ただしこの作品は世に出ず、「幻のデビュー作」となった<ref name="FM1-II-34"/>。なお「Le Petite Siren」は、一般的には「[[人魚姫]]」と和訳される。}}』という短編を8,000[[フランス・フラン|フラン]]で完成させた<ref name="FM1-II-28"/>。その後、ベッソンはパリで映画関連の職に就きながら{{refnest|group="注"|始めは書類のコピー係や食事の配達をしていたという<ref name="FM1-II-29"/>。最初期に「コピー取り」として参加した作品が、フランスで撮影中の『[[007 ムーンレイカー]]』だった<ref name="FM1-II-29"/>。}}、短編や広告、記録映像などの製作にも係わり<ref name="FM1-II-29"/>、はじめは助手として、のちに第2助監督を務めるようになった{{refnest|group="注"|この間、短期間ではあるが、ベッソンはハリウッドにも渡って映画産業の下働きをしている<ref name="FM1-II-29"/>。ここでも主な仕事はコピー取りだったという<ref name="FM1-II-29"/>。}}<ref name="FM1-II-34"/>。
  
 
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『最後から二番目の男』の撮影は35ミリフイルムで行い、8分の短編に仕上げた<ref name="FM1-II-35"/>。台詞はなく、音楽はエリック・セラがつけた<ref name="FM1-II-35"/>。主演はピエール・ジョリヴェとジャン・レノである<ref name="FM1-II-35"/>。その内容は、男性医師(ピエール・ジョリヴェ)が、壊滅した世界で唯一生き残った女性を、監禁しつつ、乱暴者(ジャン・レノ)から守っている、というものだった<ref name="FM1-II-35"/>。
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
==あらすじ==
 
==あらすじ==

2020年2月1日 (土) 21:50時点における版

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最後の戦い(原題:Le Dernier Combat[注 1])は、リュック・ベッソン監督による1983年の映画作品[2]

作品のあらまし

リュック・ベッソン監督(1959年 - )のデビュー作品[3]。ベッソン監督はパリとハリウッドで映画の助手を務めながら映画作りを学び、24歳で初めて発表した長編が本作である[3]

白黒作品で、作中には台詞が一切ない[2][4][注 2]。これは大気汚染によって、声帯の機能を喪失して発語ができなくなっている、という設定によるもの[1][4]

制作

1959年生まれのリュック・ベッソンは、15歳の頃から映画に興味をもち[5]、18歳で本気で映画の道を志すことを決めた[6]。まもなく『Le Pétite Siren[注 3]』という短編を8,000フランで完成させた[6]。その後、ベッソンはパリで映画関連の職に就きながら[注 4]、短編や広告、記録映像などの製作にも係わり[8]、はじめは助手として、のちに第2助監督を務めるようになった[注 5][7]

もともと友人であったピエール・ジョリヴェは、音楽関係の仕事をしており、1980年にジョリヴェのシングル曲のクリップ撮影をてがけた[7][注 6]。この際にギタリストとして参加していたエリック・セラと懇意になった[7]。1981年には、ラファエル・デルパール監督の『Les bidasses aux grandes manoeuvres』で助監督となり、出演していたジャン・レノと知遇を得た[9]。また同じ年、TV向けのフォーミュラ2の記録映像の仕事に携わり、撮影のカルロ・ヴァリーにと編集のソフィー・シュミットと知り合った[9]

この頃までに、ベッソンは自身の長編デビュー作として『サブウェイ』の構想をおおよそかためていた[9]。しかし予算確保の問題があり、『サブウェイ』を棚上げして、短編を作ることにした[9]。これが『最後の戦い』の原型となる『最後から二番目の男』(原題:「L'avant Dernier」)である[9]

『最後から二番目の男』の撮影は35ミリフイルムで行い、8分の短編に仕上げた[9]。台詞はなく、音楽はエリック・セラがつけた[9]。主演はピエール・ジョリヴェとジャン・レノである[9]。その内容は、男性医師(ピエール・ジョリヴェ)が、壊滅した世界で唯一生き残った女性を、監禁しつつ、乱暴者(ジャン・レノ)から守っている、というものだった[9]

あらすじ

気候変動の結果、文明が荒廃した近未来が舞台[2][4]。生き残った4人の男が、1人の女をめぐって戦う[2]

評価

登場人物の台詞を排除し、映像だけで語る作品である[2]。高い評価を受けた[3]

まだ若いリュック・ベッソン監督の初作品であり、「才気がうかがえる野心の込もった力作」(『ぴあ[2])、「奇をてらったというよりはひねくれてるとしか思えない造りにも覇気が感じられる[1]」(allcinema)と評されている。

脚注

注釈

  1. アメリカでの公開名は「The Final Combat[1]」、「The Last Battle」。
  2. 効果音やBGMはある。
  3. この作品はモノクロの10分の短編。夜の海辺で女性が男を海遊びに誘う。その後、その男は帰ってこない。これが何度か繰り返される。この女に惹かれた男性が、もしも自分の愛が本物であるならば人魚が迎えに来るはずだと信じ、重りを携えて海の底に向かう[6]。本作は後の『グラン・ブルー』の原型とされている。ただしこの作品は世に出ず、「幻のデビュー作」となった[7]。なお「Le Petite Siren」は、一般的には「人魚姫」と和訳される。
  4. 始めは書類のコピー係や食事の配達をしていたという[8]。最初期に「コピー取り」として参加した作品が、フランスで撮影中の『007 ムーンレイカー』だった[8]
  5. この間、短期間ではあるが、ベッソンはハリウッドにも渡って映画産業の下働きをしている[8]。ここでも主な仕事はコピー取りだったという[8]
  6. このビデオクリップが、世に出たものとしてはベッソンの初作品である[7]

出典

  1. 1.0 1.1 1.2 株式会社スティングレイallcinema最後の戦い。2020年1月29日閲覧。
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 『ぴあシネマクラブ2 外国映画編 2000-2001』、p446「最後の戦い」
  3. 3.0 3.1 3.2 『ぴあシネマクラブ2 外国映画編 2000-2001』、p1335「リュック・ベッソン」
  4. 4.0 4.1 4.2 キネマ旬報キネマ旬報映画データベース最後の戦い。2020年1月29日閲覧。
  5. 『Filmmakers (1) リュック・ベッソン』小林雅明「リュック・ベッソン・ワールド 2 リュック・ベッソン・ストーリー」p27
  6. 6.0 6.1 6.2 『Filmmakers (1) リュック・ベッソン』小林雅明「リュック・ベッソン・ワールド 2 リュック・ベッソン・ストーリー」p28
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 『Filmmakers (1) リュック・ベッソン』小林雅明「リュック・ベッソン・ワールド 2 リュック・ベッソン・ストーリー」「ベッソン、映画を撮る」p34
  8. 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 『Filmmakers (1) リュック・ベッソン』小林雅明「リュック・ベッソン・ワールド 2 リュック・ベッソン・ストーリー」p29
  9. 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 9.5 9.6 9.7 9.8 『Filmmakers (1) リュック・ベッソン』小林雅明「リュック・ベッソン・ワールド 2 リュック・ベッソン・ストーリー」「ベッソン、映画を撮る」p35

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書誌情報

外部リンク

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