「ヨハン・アルノルト・エーバート」の版間の差分
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*『クロプシュトックの抒情詩研究』,[[坂田正治]]・著,近代文芸社,1996,ISBN 4773354348 | *『クロプシュトックの抒情詩研究』,[[坂田正治]]・著,近代文芸社,1996,ISBN 4773354348 | ||
*『ドイツ文学史 原初から現代まで』,フリッツ・マルティーニ・著,高木実・尾崎盛景・棗田光行・山田広明・訳,[[三修社]],1979,1980(第2版) | *『ドイツ文学史 原初から現代まで』,フリッツ・マルティーニ・著,高木実・尾崎盛景・棗田光行・山田広明・訳,[[三修社]],1979,1980(第2版) | ||
− | * | + | *『Anakreontische Aufklärung』,Manfred Beetz・Hans-Joachim Kertscher/編,2005,ISBN 3484810289 |
2016年10月16日 (日) 20:54時点における版
ヨハン・アーノルド・エーバート(Johann Arnold Ebert、1723年2月8日 - 1795年3月19日)はドイツの文学者である。
生涯
「Ebert」のカタカナ転記にあたっては、現代風に「エーバート[1]」と表記するほか、18世紀に成立したドイツ語の舞台風の発音にもとづいて、「エーベルト[2]」と表記される場合もある。
作品
ADB
ハンブルグで1723年2月8日に生まれる。父親はハンブルグで軍務に従事。[3]
ハンブルグでは一番長い伝統のあるヨハネ学院(Gelehrtenschule des Johanneums)に入った。そこでの同級生がヨハン・ベルンハルト・バゼドウで、親友になった。
学長であるJohann Samuel Müllerの授業に最も関心を持った。ヨハン・サミュエル・ミュラー(de:Johann Samuel Müller、1701-1773。作曲家。)
ヨハネ学院を卒業後、ハンブルグの高等学院に進み、外国語を習う。この時期に交友関係が広がる。ハーゲドルンに師事するのもこの時期。エーバートは詩についてハーゲドルンから学んだ。英語教育もハーゲドルンから。
エーバートは文学に魅せられ、フランス人歴史家のルイ・ジョワール・デラノーズ(fr:Louis Jouard de La Nauze、1696-1773)の古代ギリシア詩に関する論文を翻訳したりした。
1743年のイースターに、ライプツィヒに進学を学ぶに留学。まもなく彼は「歓喜 (Das Vergnügen)」という結婚を祝うためのセレナーデを編むが、これが故郷ハンブルグの聖職者の不興をかい、問題視されることになった。
このことによって、エーバートは神学に対する関心を失う。
そのころにブレーメン寄与に出会う。
はじめは、ゴットシェートの「ヴィッツ」に小詩をいくつか寄稿したが、まもなくブレーメン寄与にうつる。
1748年、友人ゲルトナーの推挙で、ブラウンシュヴァイクの宮廷に招聘。カール大学で教鞭をとるようになる。
カール大学で英語を教える。
プリンスの家庭教師もする。(それによってプリンスは英語好きになる。)
当時、ブラウンシュバイクの宮廷にいたのは、ツァハリエ、ジェルサレム神父、ゲルトナー、それにあとから加わったのがエッシェンブルク(Eschenburg) とレッシングである。
エーバートはレッシングと親しく交流した。
エーバーとの人生には、大した大きな変化はなかった。
1753年、カール大学の教授になり、史学も講義を行う。
1770年、エッシェンブルク Eschenburgがそれを引き受け、エーバートはギリシャ語の講義を行う。
1773年5月18日、ルイズ(Luise)と結婚。ルイズはグラーフ・Kammerraths Gräfe;の娘。(商工会の長?)
彼は毎夏、ブラウンシュバイクに旅をした。晩年にはハンブルグにも、クロプシュトックを訪ねて。クロプシュトックはそれで「An Ebert」を書いた。
1795年3月19日に死去。
彼の最大の仕事は、「Night Thoughts」の翻訳。これは若者に熱狂的に支持され、模倣者がいっぱいでた。
NDB
エーバートは詩人のハーゲドルンに教えを受けて育った。詩とイギリス文学について。
1743年、ライプツィヒに神学で進学。しかし文学と哲学に関心を持つ。
ところが、エーバートが、結婚式用のセレナーデを書くと、これに対してハンブルグの聖職者が攻撃があった。
しかし、いずれ説教師になるつもりなら、議論から撤退するように言われる。
1748年、彼は教師になる。ブラウンシュヴァイクのカール大学の。1年間、英語を教えた。
1753年、教授に昇格。
1780年にはライプツィヒ大学の宮廷顧問として招聘。
レッシングとも交流した。
クロプシュトック「An Ebert」
ドイツ詩史では、ハーゲドルンとクロプシュトックの橋渡し役。で、イギリスの詩をドイツ語訳してドイツ・クロプシュトックに知らしめた功績。イギリスのen:Edward Youngの「Night Thoughts」をドイツ語に翻訳。「„Nachtgedanken“」。
ドイツ語版
出典A
Johann Arnold Eberts Serenade The pleasure was performed at the Hamburg Drillhaus on April 22, 1743, in a public concert on the occasion of a solemn wedding in the setting of the late Hamburg music director Johann Valentin Gorner.
エーバートのセレナーデ「Das Vergnugen」が1743年4月22日にハンブルグで、厳粛な結婚式の場で演奏された。これを指揮したのは、のちにハンブルグの音楽監督になるde:Johann Valentin Görnerである。
Other public performances were omitted for fear of ecclesiastical and magisterial reprisals.
他の曲は、教会権威の報復を恐れて省略されて演奏されなかった。
文献
クロプシュトックの最も親しい友人。クロプシュトックは詩「詩人の友垣に (An des Dichters Freunde)」「ヴィンゴルフ '」を書いて友人たちのことを詠ったが、その最初に登場するのがエーバートである。[2]
「これはようこそ!/オリュンポスの神々の息子よ、きみがいずこから来るにせよ/きみの到来はぼくにはいつも望ましい!/親しきホメーロスのもとからだろうと、マローのもとからだろうと、/ブリタニアの神々の島からだとうと!」[2]
「マロー」はウェルギリウスのこと。[2]
こういってクロプシュトックは、エーバートがギリシア文学、ローマ文学、イギリス文学について「神の子」といえるまでの詩人であると褒め称えている。[2]
脚注
注釈
出典
- ↑ フリッツ・マルティーニ,『ドイツ文学史 原初から現代まで』,p161
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 坂田正治『クロプシュトックの抒情詩研究』,p27-29
- ↑ ドイツ歴史委員会(Historical Commission)・バイエルン科学アカデミー(Bavarian Academy of Sciences),ADB(Allgemeine Deutsche Biographie),Ebert, Johann Arnold,2016年10月12日閲覧。
- ↑ ドイツ歴史委員会(Historical Commission)・バイエルン科学アカデミー(Bavarian Academy of Sciences),NDB(Neue Deutsche Biographie),Ebert, Johann Arnold,2016年10月12日閲覧。
<references>
で定義されている <ref>
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- 『ドイツ文学史』,鼓常良・著,白水社,1953
- 『クロプシュトックの抒情詩研究』,坂田正治・著,近代文芸社,1996,ISBN 4773354348
- 『ドイツ文学史 原初から現代まで』,フリッツ・マルティーニ・著,高木実・尾崎盛景・棗田光行・山田広明・訳,三修社,1979,1980(第2版)
- 『Anakreontische Aufklärung』,Manfred Beetz・Hans-Joachim Kertscher/編,2005,ISBN 3484810289