「ザクセン選帝侯の見本」の版間の差分

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19世紀のはじめ、[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]によって神聖ローマ帝国が解体されると、1806年にザクセン選帝侯は王位を名乗って[[ザクセン王国]]となり、[[ライン同盟]]に加わった。
 
19世紀のはじめ、[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]によって神聖ローマ帝国が解体されると、1806年にザクセン選帝侯は王位を名乗って[[ザクセン王国]]となり、[[ライン同盟]]に加わった。
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ザクセン王国は[[普墺戦争]](1866年)に敗れて[[プロイセン王国]]に降伏し、[[北ドイツ連邦]]に加盟、さらに1871年に[[ドイツ帝国]]の一部となった。
  
 
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*領地の変遷や詳しい歴史については[[ザクセン選帝侯領]]を参照。
 
*領地の変遷や詳しい歴史については[[ザクセン選帝侯領]]を参照。
 
*歴代の君主については[[ザクセン君主一覧]](ザクセン公国とザクセン王国を含む)を参照。
 
*歴代の君主については[[ザクセン君主一覧]](ザクセン公国とザクセン王国を含む)を参照。
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==小史==

2016年11月28日 (月) 12:11時点における版

ザクセン選帝侯ドイツ語: Kurfürst von Sachsen英語: Elector of Saxony)は、神聖ローマ帝国下のドイツ中世から近代にかけての有力諸侯の1つである。

選帝侯(選挙侯とも)は、神聖ローマ皇帝を選出する投票権(選定権)をもつ特権的な資格で、ドイツの有力諸侯に授けられたものである。

中世初期のザクセン公国(9世紀-13世紀)は代を重ねていくごとに分裂を繰り返した。その末裔であるザクセン=ヴィッテンベルク公は1356年に選帝侯位を与えられて「ザクセン選帝侯」となった。

19世紀のはじめ、ナポレオンによって神聖ローマ帝国が解体されると、1806年にザクセン選帝侯は王位を名乗ってザクセン王国となり、ライン同盟に加わった。

ザクセン王国は普墺戦争(1866年)に敗れてプロイセン王国に降伏し、北ドイツ連邦に加盟、さらに1871年にドイツ帝国の一部となった。

ドイツ語 日本語 英語
Kurfürst von Sachsen ザクセン選帝侯 Elector of Saxony
Herzogtum Sachsen ザクセン公国 Duchy of Saxony

小史