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(㭍月例祭の主張)
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記事のスタイルをめぐって論争になってしまいました。第三者の仲裁を求めます。
 
記事のスタイルをめぐって論争になってしまいました。第三者の仲裁を求めます。
 
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*主筆者が何らかの理由でハーバード方式を選択しないという場合で、第三者が「ハーバード方式」を強制し、主筆者がそれを拒むのは「主筆者による記事の私物化」であり、非難を受ける行為なのでしょうか。
 
*直接の当事者は'''[[利用者:Quark Logo]]'''さんと私('''[[利用者:㭍月例祭]]''')です。
 
*直接の当事者は'''[[利用者:Quark Logo]]'''さんと私('''[[利用者:㭍月例祭]]''')です。
 
*対象となる記事は、直接的には'''[[95ヶ条の論題]]'''および'''[[ノート:95ヶ条の論題]]'''です。ただし遠因があります。それは後段で書きます。
 
*対象となる記事は、直接的には'''[[95ヶ条の論題]]'''および'''[[ノート:95ヶ条の論題]]'''です。ただし遠因があります。それは後段で書きます。

2017年1月23日 (月) 22:07時点における版

記事のスタイルをめぐって論争になってしまいました。第三者の仲裁を求めます。

  • 主筆者が何らかの理由でハーバード方式を選択しないという場合で、第三者が「ハーバード方式」を強制し、主筆者がそれを拒むのは「主筆者による記事の私物化」であり、非難を受ける行為なのでしょうか。
  • 直接の当事者は利用者:Quark Logoさんと私(利用者:㭍月例祭)です。
  • 対象となる記事は、直接的には95ヶ条の論題およびノート:95ヶ条の論題です。ただし遠因があります。それは後段で書きます。

論点はいくつかありますが、根本的なところは記事・出典のスタイルの自由性マナーに関わりがあると私は考えており、主に下記の文書が関係すると考えております。

具体的な論点は下記あたりになる、と私は考えています。

  • 出典を明記するにあたって、ハーバード方式を強制されなければいけないのか
  • 節構成は特定の形式が固定的に強制されるのか
  • 画像のレイアウトやサイズは誰が決めるのか
  • 節構成や出典明記の方式を決める(選択する)のは誰か

後段でお示しするように、私(㭍月例祭)とQuark Logoさんのあいだには、過去に何度かスタイルをめぐる意見の相違が起きています。従いまして、私が提示するさまざまな過去事例が、私に有利なように公正さを欠いているのではないか、という見方もあろうかと思います。そのあたりは割り引いて見て頂いて結構です。これらはあくまでも㭍月例祭の意見だ、ということです。

Quark Logoさんの主張

㭍月例祭の主張

  • 出典の明記方法や節構成などには、多様性が認められている。
  • 多様性が認められている範囲では、事前の提案や合意形成もないまま、スタイルの書き換えを強行するのは控えてほしい。Quark Logoさんが深く関わった記事ではともかく、そうでない記事においては、他利用者のスタイルを尊重してほしい
  • 私(㭍月例祭)は「ハーバード方式を使うな」とは言いません。しかし、私がハーバード方式を使わずに編集し、「ハーバード方式は使わないでほしい」「そうすると私は編集しにくくなる」と申し上げているものまでもハーバード方式を強制していくことはやめてほしい。
  • 私(㭍月例祭)が記事の内容面の編集に関わっておらず、Quark Logoさんが関わっているような記事において、Quark Logoさんがご自身がやりやすいスタイルに変えることについて、私は何も言いません。
  • それと同じように、Quark Logoさんが記事の内容面の編集に関わっておらず、私が専ら関わっているような記事において、ウィキペディア内で許容されている範囲のなかから出典形式などを私がやりやすいスタイルを用いることについて、別方式を強制をしないでほしいのです。
  • Quark Logoさんは、Wikipedia:記事の所有権を根拠に、記事は誰でも編集できるのだから、スタイルをQuark Logoさんの好みに合わせることは自由にやってよい。それをリバートするのは㭍月例祭による記事の私物化宣言だ、と主張なさっています。
  • 出典明記には様々な方式が認められている。「特定の方式でなければならない」というルールもないし、合意もないし、慣習もないはずです。
  • 画像のサイズやレイアウトについては、技術的な面でも創造力的な意味でも自由度が高いもので、選択肢は無限にあります。だからといって誰もが自由に変えるとキリがないし、「この画像はサイズがこうでなければいけない」と合理的な根拠を持って決定づけられるような事情もあまりない。結局のところ、個人設定や閲覧環境でも「画像の見え方」は変わるものでもある。だから、無闇に「そればかり」変更することは避けるべき。
  • Quark Logoさんは、私が{{clip2}}というテンプレートを{{clip}}に変えたことを問題視している」とおっしゃっていますが、それは違います。「配置」や「サイズ」を変えたことを申し上げています。そういった「配置やサイズの修正」は与島尾太鉱山のようにQuark Logoさんが前からなさっていることです。
  • 節構成は、スタイルマニュアルに「一例」があるものの、それはあくまで「一例」にすぎない。自由である。
  • これらのスタイルには多様性が認められている。記事には所有権はないのだから、誰でも自由に変更することはできる。とは言え、多様性が認められている条件下で、「他の様式に変更するだけ」の変更を行うことは、好ましいことではない。その記事の編集を行った者は、その編集の度合いに応じてそれ相応の判断において画像のサイズやレイアウト、節構成、出典形式を整えているのであり、それはある程度尊重するべき。いくら「誰でも編集できる」とはいえ、記事の信頼性向上や加筆などに寄与しない利用者が、こうした「スタイルだけを変える」ことは「好ましい」ことではない。
  • 特に、その「スタイルだけの変更」に対して異議がある場合には、そのスタイル変更を強行することは腕づくでの解決であり、少なくとも議論や合意を得てから「変更」をするべき。

Quark Logoさんは、こうした「自分の好みのスタイルの強制」をめぐり、過去に以下のような衝突を起こしています。

過去事例

Wikipedia:コメント依頼/Nederlands2(2015年5月)
Wikipedia:井戸端/subj/改名提案なしの記事移動について(2015年12月)
  • 関の五本マツは立項当初からWikipedia:月間新記事賞/2015年12月の候補になるような水準の記事でした。これはつまり、作成者はそれ相応の調べ物をし、記事名も含めて、その調べ物に基いて判断したものである、ということです。
  • Quark Logoさんはそれを即時改名し、作成者がリバートし、井戸端案件になりました。改名は差し戻しになり、Quark Logoさんはその後あらためてノート:関の五本マツで再度改名を提議なさいましたが、合意を得られませんでした。
  • 第三者のコメント - 「即時改名が認められるほど「明らか」という判断が下せるものではないと思います。Quark Logoさんにおかれましては、今後は気をつけるようお願いします。[1]」(利用者:Ks aka 98さん)
  • Quark Logoさんのコメント - 「即時改名ではなく改名提案をすべきだったことはその通りなんですが、改名論議は別にして、日本人としてこの名称への違和感は依然ぬぐえないです。そう思っている人は私だけでは無いでしょう。」「意見は対立したまま提案は流れるということでしょう。[2]
  • 第三者のコメント - 「それならば、「意見が対立したまま」ではなく、誤認であった、ということになるでしょう。[3]」(利用者:Ks aka 98さん)
Wikipedia:井戸端/subj/脚注節のサブセクションに参考文献を落とすレイアウトについて
  • これは私(㭍月例祭)とQuark Logoさんが直接対立したものであり、今回の対立と同根のものです。
  • 私が「脚注」節のなかに「参考文献」節を含めているものを、Quark Logoさんが異議を申し立て、Wikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)を根拠に、私のスタイルを否定して始まったものです。
  • 第三者のコメント - 「スタイルマニュアルは、基本的に従うことが推奨されますし、論文などのスタイルに十分な知見がなければ、とりあえずは従うべきでもありますが、必ず守らなければならないルールではありません。基本的には記述と情報源を対照させて、検証に十分な書誌情報が書かれていることが重要で、常識からかけ離れたものでなければ、名称や順序は大きな問題ではありません。「どっちでも大差ない」ですし、ですから、スタイルマニュアルでは例示にとどめ、特定の書式に統一することは避けられています。[4]」(利用者:Ks aka 98さん)
  • 第三者のコメント - 「要するにQuark Logo様の感覚はあなたの感覚にすぎなくて、さほどの普遍性はありません。記事の書き方はそんなに縛られること無いと思いますよ。そんなつまらないことにこだわるのは百科事典を作るという目的から視るとあまりに些事です。むしろ鬱陶しいですね。[5]」(利用者:Keisotyoさん)
  • (※念の為書き添えます。このご発言の最後の部分は、もしかするとここだけ抜き出すと乱暴な言い方だとみなされるかもしれません。しかし、これが相手に「鬱陶しい」という感想を持たせる行為だ、ということを端的に指摘なさったことは、今から見ると、示唆的と思います。なぜならば、Quark Logoさんが「自分が正しいと思ったスタイルを相手に強制する」行動が、各所で問題を誘発しているように思います。次の事例のように、結果として相手方を怒らせ、相手がブロックに至った事例もあります。)
  • 第三者のコメント - 「「付録節の名称や順番、テンプレートの位置は一例です」というところを含めて、基本的に従うガイドラインですよ。つまり、多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨されているのは、書かれている順序は例示に過ぎないものとして同意され、従うことが推奨されているのです。[6]」(利用者:Ks aka 98さん)
Wikipedia:コメント依頼/宇井木辺出夫Wikipedia:コメント依頼/Quark Logo(2016年12月)
  • Quark Logoさんは、宇井木辺出夫さんが編集していた徳川義親で、急に注釈・出典形式の変更を行いました。これに対して宇井木辺出夫さんがノートで異議を述べたところ、宇井木辺出夫さんが携わった他の記事でも[7][8]のように「スタイルだけの変更」を行い、宇井木辺出夫さんがヒートアップしたものです。特に徳川義崇では、履歴を見ていただくとわかりますが、Quark Logoさんも出典がないところに出典をつけるなどなさっています。ですから「スタイルだけ」ではないのですが、出典をつけるのに伴ってスタイルも変更しており、宇井木辺出夫さんを怒らせました。
  • 上記コメント依頼は、帰結として宇井木辺出夫さんのブロックとなりました。ブロック依頼、コメント依頼でもわかるように、以前から別の場所で問題があり、「徳川某」以前から各所で起きていたものです。)として合意が成立しています。