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2023年8月14日 (月) 22:02時点における版
目次
冒頭文
※南半球に位置するニュージーランド・オーストラリアは、北半球とは季節が逆転しており、12月から2月にかけてが「夏」になる[1]。このため競馬は真冬に相当する8月1日を境に暦が変わり、たとえば2023年8月1日から2024年7月31日までを「2023/24シーズン」と表現する。馬齢も8月1日に1歳加算される。[1]
概要
血統
父系
父馬のブラーニーキス(Blarney Kiss)はアメリカ産のサラブレッドで、北米で36戦11勝をあげ、8万0,161米ドルを稼いだ[2][注 1]。主な勝鞍に1968年のミシガンダービー(Michigan Derby、8.5ハロン≒1710メートル)、フェアモントダービー(Fairmont Derby、8.5ハロン)、ミシガンダービートライアルハンデ(Michigan Derby Trial H、8.0ハロン≒1609メートル)がある[3]。
その父アイリッシュランサー(Irish Lancer)はロイヤルチャージャー(Royal Charger)の直仔で、2歳時(1959年)にサラトガスペシャル(Saratoga Special S)に勝っている[3]。アイリッシュランサーの全姉のイドゥン(Idun[注 2])は全米3歳牝馬チャンピオンである[3]。ロイヤルチャージャー系では、ロイヤルチャージャーの直仔でイギリス産のコペンハーゲンⅡ(CopenhagenⅡ)がニュージーランドへ輸出され、ニュージーランドのリーディングサイヤーになっている[3]。
父ブラーニーキスは、1971年にアメリカで種牡馬になり、その初年度産駒が2歳になる1974年にニュージーランドに輸出された[3]。アメリカに残してきた産駒は6頭で、うち5頭が勝鞍をあげた[3]。ブラーニーキスがニュージーランドで初供用されてできた最初の世代の産駒は1975/76シーズン生まれで、キーウィの母が1976/77シーズンに種付けされた時点では、まだ産駒はニュージーランドで走っていなかった[3]。ニュージーランド北島のワイカト州ケンブリッジで繋養され、1976年の種付料は800NZドルだった[3]。
母系
生産関係
- South Taranaki で生産[4]
Dargaville 在住のBrian Fischer(ブライアン・フィッシャー)。キーウィの生産者。生産地は、Dargavilleの北8kmにあるParore。「伝説的な」( legendary)1983年の優勝馬キーウィの生産者[5]
馬主・調教師
- アンはダーガビル生産の1歳馬を1000ドルで購入[6]
- 「キウイ」と命名。のちにそれがニュージーランドの象徴になるとは考えてもいなかった[6]
- はじめ、キーウィは、Whanganuiの北西にあるSouth TaranakiのWaverleyのラプトンの農場で、羊を集める(round up sheep)のに使われていた。[6]
- スノー氏は、キーウィにステイヤーとしての資質を見出した。[6]
- 調教メニューの一環として、「羊を集める(round up sheep)」ことも続けた。[6]
- 数年後、ラプトンは、1983年1月のトレンサム競馬場のウェリントンカップに登録した。[6]
人物C
戦績
デビュー前
1980/81(2歳時)
1981/82(3歳時)
1982/83(4歳時)
ウェリントンC
- Mr & Mrs ES Lupton、JA Cassidy、
3.20.29、調教師はES Lupton[7]
- 馬主はE.S.ラプトン夫妻、騎手はJ.A.キャシディ、調教師はE.S.ラプトン[7]
- ウェリントンカップは、(オークランドCとともに)ニュージーランドを代表するカップ戦。引用エラー:
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書誌情報
- New Zealand Blood-Horse Ltd./編、“Register of Throughbred Stallions of New Zealand Vol.Ⅸ”、The New Zealand Throughbred Breeder's Association Inc./刊、1976
- John M.Richardson/編、“Register of Throughbred Stallions of New Zealand Vol.Ⅺ”、The New Zealand Throughbred Breeder's Association Inc./刊、1980
- ハイランド真理子/著、PRC GUIDE BOOKS『世界の競馬場2 オーストラリア・ニュージーランド・香港・マカオ』、中央競馬ピーアール・センター、1994。ISBN 4-924426-43-1
関連図書
外部リンク
https://ahonoora.com/kiwi.html
関連項目
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[Category:○○]]- ↑ 1.0 1.1 1.2 『世界の競馬場2 オーストラリア・ニュージーランド・香港・マカオ』、pp.16-17「オーストラリアの競馬の特徴」およびp.237「ニュージーランドの競馬の特徴」
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 “Register of Throughbred Stallions of New Zealand Vol.Ⅺ”、pp.58-59、“BLARNEY Kiss(USA)(12)”
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 3.8 3.9 “Register of Throughbred Stallions of New Zealand Vol.Ⅸ”、pp.64-65、“BLARNEY Kiss*(12)”
- ↑ 4.0 4.1 Stuff Ltd、2016年10月29日付、Tony Bird、Why Kiwi Melbourne Cup winner has been immortalised in bronze(webアーカイブ版)。2023年8月14日閲覧。
- ↑ 5.0 5.1 Stuff Ltd、2012年9月5日付、Petrice Tarrant、Cup fever strikes(webアーカイブ版)。2023年8月14日閲覧。
- ↑ 6.00 6.01 6.02 6.03 6.04 6.05 6.06 6.07 6.08 6.09 6.10 Stuff Ltd、2017年11月11日付、Kelvin Teixeira、Flashback: Kiwi flies to legendary Melbourne Cup win in 1983(webアーカイブ版)。2023年8月14日閲覧。
- ↑ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「LRNZ-WelC-winner
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ ニュージーランド政府公式サイト、NEW ZEALAND HISTORY、Kiwi wins the 1983 Melbourne Cup。2023年8月14日閲覧。
- ↑ Carolyn Jean Mincham(マッセー大学Doctor of Philosophy論文)、{{PDFlink|A Social and Cultural History of the New Zealand Horse、p.275(PDF表示ソフト上は287ページ)
- ↑ [web.archive.org/web/20101101035949/http://grapevine.com.au/~paulandkaja/cups/greatrac.html The Melbourne Cup](webアーカイブ版)。2023年8月14日閲覧。。※信頼できる情報源でない個人サイトのようだ
- ↑ 中川木材産業、世界の有用木材950種、Tasmanian Black Wood。2023年8月14日閲覧。
- ↑ 『世界の競馬場2 オーストラリア・ニュージーランド・香港・マカオ』、p.259
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