レオ10世による贖宥状

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この皇帝選挙の裏側ではもう一つ、フッガー家が暗躍した大きな出来事が起きていた[1]ブランデンブルク選帝侯位をもつ北ドイツのホーエンツォレルン家は、選帝権を有するもう一つの資格を手に入れようとしていた。それがドイツ教会の最高職であるマインツ大司教位である[2][1][注 1]。ブランデンブルク選帝侯ヨアヒム1世の弟、アルブレヒトDeutsch版は、この位を手に入れるために教皇に金貨12,300枚を支払わねばならなかった[2][注 2]。これを融資したのがフッガー家だった[2][4][5]

アルブレヒトにはこれを返済するだけの資産が無かったので、フッガー家は返済資金をかき集める手っ取り早い方法をアルブレヒトにアドバイスした[2]。それが贖宥状の販売である[2][4]。この贖宥状は「サン・ピエトロ大聖堂の建築資金」の名目で売り出されたのだが、実際には売上は最終的にフッガー家の懐に入ったのだった[2][6][注 3]

当時のザクセン選帝侯フリードリヒ3世は、これには眉をひそめ、ザクセン領内での贖宥状の販売を禁止した[2][4]。ただし、ザクセン選帝侯が贖宥状の販売を禁じたのは、単なる宗教的な信仰心だけが理由ではなく、領地の経済を慮ってのことだった。選帝侯の領民が稼いだ金が、贖宥状の売上としてマインツ大司教のもとへ集まり、さらにローマに送られるということは、ザクセン選帝侯領の富がローマへ流失していることにほかならなかった[7][注 4]。また、ザクセン選帝侯はヨーロッパを代表する聖遺物の収集家であり[9]、それを見るために各地から巡礼者が集まってきていた[7][注 5]。巡礼者が領内で費やす金はザクセン選帝侯領内の経済を潤していたのだが、贖宥状の販売はこれを妨げる危険性があった[7]。贖宥状の販売はドミニコ会が請け負っており、これらの事情でザクセン選帝侯はドミニコ会の修道士を領内から追放したのだった[7]

そのザクセン選帝侯領内から、贖宥状の販売を厳しく批判する者が現れた。ザクセン選帝侯領の都であるヴィッテンベルク大学の若い神学教授、マルティン・ルターである[2][4]。ルターによる贖宥状批判は教会組織や教皇にまで及び、ドイツの宗教改革に火がついた[13][4]


脚注

注釈

  1. マインツ大司教は皇帝選挙の進行役であると同時に、7人の投票者の一番最後に投票することになっており、それまでの6人の投票が同数だった場合に皇帝を最終決定する役割を担っていた[3]
  2. このほかに、アルブレヒトはマグデブルク大司教位も兼任することでさらに金貨1079枚を納める必要があった。これらの総額は、大きな領邦の高級官僚の年収の50倍に匹敵したという[2]
  3. 実際にドイツ各地を回って贖宥状を売り歩くドミニコ会の修道士が、売上から手数料を受け取る。残りが贖宥状の発行者であるマインツ大司教アルブレヒトの取り分となる。アルブレヒトはその半分を、贖宥状の発行を許可した教皇へ上納金として納める。残りがアルブレヒトの売上になり、これは借金の返済としてフッガー家に支払う。一方、教皇はサン・ピエトロ大聖堂の建築資金としてアルブレヒトからの上納金を受け取るが、実際の建築資金はフッガー家から前借りしているので、上納金はその返済に充てられる[4][6][2]
  4. ザクセン選帝侯領の富の源泉は、領内の銀鉱山にあった。当時の鉱山開発技術の発展によって、フリードリヒ3世の時代に鉱山収入は伸び、選帝侯を潤したのだった。フッガー家も鉱山収入で同時期に急速に発展したのであるし、ルターの父親はザクセン選帝侯の鉱山の監督官として財を築いた人物である[8]
  5. その数は1509年の時点では5000点だったが、1520年には19,013点にまで増えていた[10]。しかし、ルターが聖遺物崇拝も偶像崇拝の一種であると批判を始めると、選帝侯はコレクションを手放さざるを得なくなった[11]。コレクショのうち現存するのは、ルターに与えられたガラス製の杯1点のみである[12]

出典

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  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 2.8 2.9 『皇帝カール五世とその時代』,p22-26「贖宥状問題」
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  6. 6.0 6.1 『はじめての宗教改革』,p48-53「イタリアの状況」
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 『はじめての宗教改革』,p53-57「贖宥券論争と「九五箇条提題」」
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  13. 『西ドイツII』p142-147「皇帝と帝国を前にしたルター」

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参考文献

  • 世界の教科書=歴史019『ドイツ民主共和国1』,ドレスデン教育大学、ライプツィヒ大学、D・ベーレント、H・ヴェルメス、S・ミュラー/原著,木谷勤、井上浩一、勝部裕/訳,ほるぷ出版,1983