1stグローヴナー加筆用

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競馬

初代グローヴナー伯爵は競馬好きで知られた[1][2]。1761年に爵位を授かったとき、授爵の儀式をすっぽかしてニューマーケットに調教を見に行っていた[3]ホレス・ウォルポールはそのときのことを次のように記している。「グローブナー卿が授かったのは、子爵位だったか男爵位だったか…、私はよく知らないが、本人も知らないだろう。昨日は、本来、王の手に接吻するべきところ、調教を見にニューマーケットに行っていたのだから[4]。」

莫大な資産を競馬に惜しみなく注ぎ込み、金を使った規模では18世紀後半の人物としてはEgremont伯爵と双璧をなす[5]。生涯で競馬に費やした資産は20万ポンド[6]とも、25万ポンド[6][4][7]とも30万ポンド[8]とも言われ、「最も気前のよい競馬の庇護者の一人」(one of the most munificent supporters of racing)と評される[4]。その総額のかなりの部分は賭けに費やしたともいう[4][7]。しかし金遣いが荒く、手元不如意のこともたびたびあった[4]。あるとき、ニューマーケット競馬場でアビンドン伯爵English版と3000ギニーを賭けたマッチレースを予定していたのに、持ち合わせがなく危うくレースが不成立になりかけた[4]。グローヴナー伯爵は、守銭奴で有名なとある人物(Mr.Else)から金を借りてレースを実現させた[4]。グローヴナー伯爵が勝ったのを見届けた金貸しは、とりっぱぐれがないように、ニューマーケット競馬場の垣根を馬で飛び越えて金を回収しに来たという[4][注 1]。グローヴナー伯爵は競馬に金を使いすぎて資産を減らし、晩年には競馬で使う金はかなり控えめになった(それでも相当な額だった)とも伝わる[8]

グローヴナー伯爵は、ロンドンのウエスト・エンド地区の大部分を所有していた[4]。1766年には、所有していたハイド・パーク近くの土地の一角をリチャード・タタソールに貸し出した[9]。タタソールはここで毎週2回、馬の競り市をひらくようになった[9][8]。1773年にはキングストン公爵の死去にともない、その所有馬の売却を一手で請負い、大掛かりな競り市を実施して有名になった[9][8]。これが後のタタソール社となった[9]

馬主として

グローヴナー家は代々競馬好きで知られ、伯父の第4代グローヴナー准男爵の所有馬が描かれた1724年の絵画も現存する[10]。とりわけ初代グローヴナー伯爵は18世紀後半の競馬界で最も多くの競走馬を所有する最大の馬主だった[8][注 2]。これに挑んだのが王太子時代のジョージ4世で、1791年にジョージは、グローヴナー伯爵の32頭を超える39頭の競走馬を登録して英国一位となった(ジョージ4世と競馬も参照)[8]

1760年代にイギリスで最も活躍した競走馬がジムクラックで、グローヴナー伯爵はこの馬を1769年にバンベリー卿から買い取った[11][12]。売値は1200ギニーだったが、グローヴナー伯爵は500ギニーを追加して1700ギニーを支払ったと伝わる[13]。グローヴナー伯爵がジムクラックを買い取った目的は、当時最強と言われたこの馬の肖像画を描かせるにあたり、自分の勝負服で書かせたかったからだと伝わる[11][注 3]

1768年生まれのマンブリーノMambrino)は、グローヴナー伯爵の所有馬として王室賞など11勝を挙げた[14][注 4]。負かした相手にはフロリゼルなどがいる[14]

1778年にはグローヴナーはポテイトーズという馬をアビンドン伯爵ウィロービー・バーティーEnglish版より1500ギニーで購入、グローヴナー所有を示す黄色と黒の勝負服のもとで多数の競走で優勝させた[16]

生産者として

グローヴナー伯爵はロンドンのハイド・パークや、ニューマーケットに近いケンブリッジ州ベルシャム(Balsham)のオクスクロフト牧場(Oxcroft Farm)を所有しており[8]、さらに本領であるチェシャー州イートン(Eaton)にイートン牧場(Eaton Stud)を開設した[7]。これは英国を代表する競走馬生産牧場として有名になった[7]。同時代においては最も偉大な競走馬生産者(the greatest breeder (then existing) of racing stock)と言われ[1][2]、18世紀の『ジェネラルスタッドブック』には「グローヴナー卿の競走馬用牧場は比類のないものである」と記されている[17]

グローヴナー伯爵が繋養した最初期の種牡馬では、栗毛のアラブ馬(通称:グローヴナーズアラビアン(Grosvenor's Arabian))が知られている[6]


1768年に


のちに、1783年に自身の持つケンブリッジ州ベルシャム(Balsham)のオクスクロフト牧場(Oxcroft Farm)にて種牡馬入りさせると大成功を収め、生涯で172頭の勝ち馬を送り出し、62,000ポンドを稼ぎ出している[16]




競馬好きで知られ、


1778年、グローヴナーはポテイトーズという馬をアビンドン伯爵ウィロービー・バーティーEnglish版より1500ギニーで購入、グローヴナー所有を示す黄色と黒の勝負服のもとで多数の競走で優勝させた。のちに、1783年に自身の持つケンブリッジシャーベルシャムのオクスクロフト牧場にて種牡馬入りさせると大成功を収め、生涯で172頭の勝ち馬を送り出し、62,000ポンドを稼ぎ出している[16]


また、グローヴナーはアメリカ合衆国で種牡馬として成功したメッセンジャーの生産者としても知られる[18]

脚注

注釈

  1. グローヴナー伯爵の「ジムクラックの牡駒」対アビンドン伯爵の「カーディナルオブヨーク号」とのマッチレースでのこと。「垣根」は、正確には、ニューマーケット競馬場を横切るデヴィルズダイクという古道の垣根[4]
  2. 初代グローヴナー伯爵より前に「最大の馬主」だった人物はジェニソン・シャフト(Jenison Shaft, Esq.)というが、この人物は1771年5月31日に大きな賭けに負けてピストル自殺をした。この結果、グローヴナー伯爵が最大の馬主になった。[8]
  3. ジムクラックは5人の馬主の間を渡り歩いており[3]、ジムクラックを描いたさまざまな絵画では、さまざまな勝負服で描かれている。同じ構図で勝負服だけが異なる作品も残されている。[11]
  4. 生産者はJohn Atkinson,Esq.というが、この人物が急逝したため、グローヴナー伯爵が買い取った[15]

出典

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  3. 3.0 3.1 ロジャー・ロングリグ、『競馬の世界史』。p.85
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 4.6 4.7 4.8 4.9 Richard Onslow, “Headquarters : a history of Newmarket and its racing”, Great Ouse Print, Cambridge, UK, 1983. ISBN 978-0907351207. pp.22-23
  5. ロジャー・ロングリグ、『競馬の世界史』。p.98
  6. 6.0 6.1 6.2 Throughbred Bloodlines、Arabians,Barbs & Turks、Grosvenor's Arabian、2020年8月22日閲覧。
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 テンプレート:Cite book,pp.251-252,GROSVENOR, RICHARD GROSVENOR, 1ST EARL (1731-1082)
  8. 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 8.6 8.7 David Oldrey, Timoth Cox and Richard Nash, The Heath & The Horse; a history of racing and art on Newmarket Heath, London, 2016, ISBN 9781781300237.、pp.68-69
  9. 9.0 9.1 9.2 9.3 ロジャー・ロングリグ、『競馬の世界史』。p.94
  10. The Heath & The Horse; a history of racing and art on Newmarket Heath,p.52
  11. 11.0 11.1 11.2 The Heath & The Horse; a history of racing and art on Newmarket Heath,pp.82-83
  12. “Biographical Encyclopedia of British Flat Racing”,pp.235-236,GIMCRACK
  13. James Christie Whyte, Esq. ,“History of the British Turf: From the Earliest Period to the Present Day. vol.1”,Henry Colburn Publisher, London,UK,1840. p.507
  14. 14.0 14.1 テンプレート:Cite web
  15. “History of the British Turf: From the Earliest Period to the Present Day. vol.1”,pp.548-51
  16. 16.0 16.1 16.2 テンプレート:Cite web
  17. ロジャー・ロングリグ、『競馬の世界史』。p.238
  18. テンプレート:Cite web
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