愛知県南部の「知多」は古い地名だ。『古事記』には天押帯日子命(第5代孝昭天皇の皇子)の子孫16氏が記載されており、そのなかに「知多臣おみ」がいる。藤原宮から出土した「持統天皇5年」(691年)の木簡には「尾治おはり国知多評こおり」、平城京から出土した天平元年(729年)の銘がある木簡には「尾張国智多郡」とある。
知多半島は、東の渥美半島との間に三河湾をつくり、とくに三河湾の西部は知多湾と呼ばれる。