ブラウンシュヴァイク工科大学
ブラウンシュヴァイク工科大学(Technische Universität Braunschweig)は、ドイツにある大学である。創立は1745年でドイツでは最も古く、工科大学としてはドイツ最大の規模を有する。なお「工科大学」というのは通称で、実際には人文系の学部も有する総合大学である。
目次
概要
学部構成
歴史
18世紀
1745年にカロリニム大学(Collegium Carolinum)として創立された。創設者は当時のブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公カール1世で、学校名の「カロリニム」はその君主名からとられている[1][2]。
大学の創設にあたり、カール1世は宮廷顧問の神学者イェルーザレムに教授陣の人選を行わせた。イェルーザレムは神学者でありながら啓蒙思想家でもあり、ドイツ諸国から新進気鋭の若い文人・学者を集めた。創立当初は工学、科学、数学、商学、語学、哲学、神学、文献学、医学の講義が行われ、48名の学生が在籍した[1][2]。
創成期の教授には、ブレーメン寄与派の文人ゲルトナーやエーバートのほか、劇作家として有名なレッシング、エシェンブルク(de:Johann Joachim Eschenburg)などの文学者がいる。彼らによって、カロリニム大学は18世紀後半の独における啓蒙主義の中心地の一つとなった。一方、18世紀から19世紀にかけてヨーロッパでは自然科学や工学が急速に発展し、大学の講義もそれを反映して理工系の授業が拡大していった[1][2]。
19世紀
19世紀に入って間もなく、ナポレオンの侵攻によってブラウンシュヴァイクはフランスに占領された。当時の。ブラウンシュヴァイク侯フリードリヒ・ヴィルヘルムは、1808年から大学を軍学校に改編し、フランスに対する抵抗運動を行った。これはナポレオン戦争が終わって、ブラウンシュヴァイク公国として1813年に独立するまで行われた[1][2]。
フリードリヒのあとを継いでブラウンシュヴァイク公となったヴィルヘルムは理工系を重視し、カロリニム大学に理工系の講義を増やしていった。1835年には大学を人文学部、理工学部、経済学部の3つに分けたが、1862年には人文学部と経済学部を廃止して「王立工学学校(Herzogliche Polytechnische Schule)[注 1]」に改称、理工系の8学科が設置された[1][2]。
さらに1877年には新学舎が落成、移転して「王立カール=ウィルヘルミナ・工科総合大学(Herzogliche Technische Hochschule Carolo-Wilhelmina)」と改称した。当時の学生の在籍数は211名[1][2]。
20世紀以降
第二次世界大戦の戦火によって、大学の建物も7割が破壊され、学校は存続の危機に陥った。州政府の援助によって建物が再建され、大学が再開された。1968年に現在の「ブラウンシュヴァイク・カール=ウィルヘルミナ・工科総合大学(Technische Universität Carolo-Wilhelmina zu Braunschweig)」と改称した。「ブラウンシュヴァイク工科大学」というのはその通称である[1][2]。
ドイツでは、2003年に国内の工科大学9校が集まってTU9という連合組織を作っており、ブラウンシュヴァイク工科大学もその1校として加盟している[3]。
学部構成
- 数学科、情報学科、経済学科、社会科学科
- 生命科学学部
- 生物・バイオテクノロジー科、化学・食品化学、薬学科、心理学科
- 建築・土木工学・環境科学学部
- 建築学科、土木工学・環境科学科
- 機械工学部
- 機械工学科、交通工学科
- 電気工学部
- 電気工学・情報技術科、物理学科
- 人文教育学部
- 人文教育学科
主な出身者
- 生年に基づく。
18世紀
19世紀
20世紀
脚注
注釈
- ↑ 「Herzogliche」は「ブラウンシュヴァイク公が創立した」の意味で、ブラウンシュヴァイクは王国ではなく公国なので、「王立」は正確ではない。無理やり直訳すると「公王立」となる。