ゲレールテンシューレ

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冒頭文

ゲレールテンシューレドイツ語: Gelehrtenschule)はドイツの学校の一種である。

主に、ルター宗教改革後に各地に登場したもので、大学へ行く前に高等教育を受けるために必要な準備教育を行うため、各地に設立された。現代の教育制度のもとでは中等教育機関に相当する。

概要

ゲレールテンシューレドイツ語: Gelehrtenschule)はドイツの学校の一種である。

歴史

ドイツの「大学」には、ハイデルベルク大学(1386年設立)やライプツィヒ大学(1409年設立)など、中世に遡るものがある。これらの大学では、伝統的に、最上位に位置づけられる学問としての神学哲学などが教授され、受け継がれてきた[注 1]。これらの大学では、学生が神学や哲学を修めるための下地として、ヘブライ語、(古代)ギリシャ語ラテン語や数学などの基礎的な素養を習得するための期間を設けており、それが大学在学期間の長期化をもたらし、定員の制約によって大学に入ることを難しくしていた[1][2][3]

ルター(1483-1546)が16世紀ドイツで宗教改革を行い、プロテスタントが出現して従来のカトリックと決別した。そうなると、プロテスタント派は、プロテスタントを率いていく指導者と、次世代の指導者を養成するための場を必要とするようになった。旧来の大学の神学から離れてプロテスタントの教義を伝え広め教えていくため、プロテスタントの地方では学校改革が急務となった。各地でそのための大学が拓かれる一方で、ラテン語やギリシャ語習得のための基礎的学問に費やす期間を大学から切り離し、それを専門に担う新しいタイプの学校が作られることになった[1][2][3]

さまざまな呼称

この新しいタイプの学校の名称はさまざまであった。

領邦君主たちが創立したものは、「王侯学校(フュルシュテンシューレドイツ語: Fürstenschule)」や「領邦学校(ランドシューレドイツ語: Landesschule)」[注 2]などと称した[1][2][3][4]

また、大学で専門的な学問を修めて学者になるという観点から、「学者学校」を意味する「ゲレールテンシューレ」(ドイツ語: Gelehrtenschule)、あるいはラテン語で「ペダゴギウム」(ラテン語: Pedagogium[注 3])を名乗るところもあった。

また、これらのフュルシュテンシューレ、ランドシューレ、ペダゴギウムなどの総称として「ゲレールテンシューレ」と呼ぶ場合もある。いずれにせよ学校の目的は、大学教育の準備教育である。そのため、大学(高等教育機関)の前の中等教育機関として「ギムナジウム」と同一視される場合もある。ゲレールテンシューレもギムナジウムも、卒業後に大学へ進むことを目的としているのに対して、卒業後に社会へ出るために役に立つ実践的な学問を教える学校を「リアルシューレ(実科学校)、ドイツ語: Realschule」と言った。

日本語訳

「ゲレールテンシューレ」の日本語訳としては、「学者学校」などがある。学者を育てる準備教育機関としてはギムナジウムも同様であるため、ギムナジウムにも「学者学校」の訳語が当てられる場合もある。

神学のためのヘブライ語はともかく、ギリシャ語とラテン語は神学以外でもあらゆる学問を学ぶためには必須だった。そのためこれらの言語を総称して「古典語」といい、ゲレールテンシューレの訳語として「古典語学校」が当てられる場合もある。外国語を教えるという観点で、英語圏ではグラマースクールGrammar school)と訳される場合もある。

また、専門教育の下地となる基礎的素養を学ぶという観点から「教養学校」の訳語が与えられる場合もある。(教養学部も参照。)

時代が下って、ドイツの学校制度が整理・体系化されていき、また学問がドイツ語やフランス語・英語などで教授される時代になると[注 4]、ゲレールテンシューレは必ずしも「古典語」を教えるわけではなくなっていった。それらの学校のなかには、中等教育機関としてより一般的な「ギムナジウム」に改称するようなところもある。こうした場合など、より普遍的な「学院」が訳語として用いられる場合もある。

今でもラテン語やギリシャ語を教える「ゲレールテンシューレ」もある。1529年創立でハンブルク最古のヨハネウム学院は、ドイツ語での正式名称は今でも「ドイツ語: Gelehrtenschule des Johanneums」となっている。

関連項目

ドイツ語版

de:Gelehrtenschule(oldid=148764229)より転記 ゲレールテンシューレドイツ語: Gelehrtenschule)はドイツの学校の一種である。

ゲレールテンシューレは宗教改革以後に登場した学校形態の一つである。大学での学習に先立つ教育を授けるためにつくられたものである。

Als Gelehrtenschule bezeichnete man eine höhere Schule, die seit der Reformation der voruniversitären Ausbildung diente.

日本語では「古典語学校」「教養学校」「学者学校」などの訳語があてられている。

宗教改革期

ゲレールテンシューレは、宗教改革によって生まれたプロテスタントの地域では、中等教育を行う場所として位置づけられた。ゲレールテンシューレを設立したのは、各地の領邦君主や自由都市であった。マルティン・ルターは著書『ドイツ語: An den christlichen Adel deutscher Nation von des christlichen Standes Besserung 』(1520年)のなかで、世俗の権威(=教会)が学校教育にもっと関心を払うべきだと主張した。その結果、大学(ドイツ語: Hochschulen[注 5]のある地域を中心に「準大学」が設立されていった。宗教改革が行われた地方では多くの修道院が廃止されたのだが、その建物を利用される場合が多かった。ゲレールテンシューレは、大学での学習に備える知識を習得する場であり、ギムナジウムと似た性格を持っていた。ゲレールテンシューレのカリキュラムでは、古典語としてラテン語ギリシャ語が必須科目であった。そのほかには、人文科学数学などが教授されていた。プロテスタントの教義の下では、ルネサンス人文主義も一定の価値を認められており、それもゲレールテンシューレの特徴の一つになった。

Gelehrtenschulen waren höhere Schulen in protestantischen Gebieten, die seit der Zeit der Reformation entweder durch eine Stadt oder einen Landesherrn getragen wurden. In seiner Schrift An den christlichen Adel deutscher Nation von des christlichen Standes Besserung hatte Martin Luther 1520 gefordert, die weltliche Obrigkeit habe sich des Schulwesens in besonderem Maße anzunehmen. In der Folge entstanden, insbesondere nach der Aufhebung der meisten Klöster in reformierten Territorialstaaten, weltliche Landesschulen im voruniversitären Bereich und Hohe Schulen als quasiuniversitäre Hochschulen. Die Gelehrtenschulen hatten die Aufgabe, auf das Universitätsstudium vorzubereiten, und waren den akademischen Gymnasien eng verwandt. Der Lehrplan umfasste deshalb immer auch die klassischen Sprachen Latein und Griechisch. Die anderen Fächer waren meist Geisteswissenschaften und Mathematik. Neben der Protestantischen Lehre waren die Ideen des Renaissance-Humanismus der zweite Einfluss, der auf das Profil der Gelehrtenschulen einwirkte.

重要なゲレールテンシューレは、マールブルクマールブルク大学に併設された)、カッセルコルバッハや、ハーフェルのノイシュタット学院(ドイツ語: Neustädtische Gelehrtenschule)などがある。今でも、ハンブルクヨハネウム学院キールのキール学院(ドイツ語: Kieler Gelehrtenschule)、ラッツェンブルクDeutsch版のローエンブルク学院(ドイツ語: Lauenburgische Gelehrtenschule)、メルドルフDeutsch版のメルドルフ学院(ドイツ語: Meldorfer Gelehrtenschule)などは、創立時の「ゲレールテンシューレ」という校名を維持している[注 6]

Bedeutende Gelehrtenschulen entstanden unter anderem in Marburg (unmittelbar an die Universität angeschlossen), in Kassel, Korbach und Brandenburg an der Havel. Noch heute führen Gymnasien in Hamburg, Kiel, Ratzeburg und Meldorf die traditionelle Bezeichnung „Gelehrtenschule“ im Namen.

ユダヤ教のゲレールテンシューレン

ユダヤ教の文脈での「ゲレールテンシューレン」は、タルムードを学ぶ学塾であるイェシーバーの訳語となっている。イスラエルのヤブネにある学校がその例である。

Im jüdischen Zusammenhang bezeichnet man mit Gelehrtenschulen die Ausbildungsstätten zum Studium des Talmuds, die gleichzeitig auch als Gerichte dienten, z. B. die Schule in Jawne. Seit dem Mittelalter lautet die Bezeichnung für die Talmudschulen Jeschiwa.

関連項目

Literatur

  • Arnd Friedrich: Die Gelehrtenschulen in Marburg, Kassel und Korbach zwischen Melanchthonianismus und Ramismus in der zweiten Hälfte des 16. Jahrhunderts. Historische Kommission für Hessen, Marburg 1983, ISBN 3-88443-135-8.
  • Fritz Blättner: Geschichte des Gymnasiums. Die Wandlung von der altprotestantischen Gelehrtenschule zum humanistischen Gymnasium. In: Hermann Röhrs (Hrsg.): Das Gymnasium in Geschichte und Gegenwart. Akademische Verlagsgesellschaft, Frankfurt am Main 1969, S. 1–41.

Weblinks

{Wiktionary}}

[Kategorie:Historischer Schultyp]]


脚注

注釈

  1. 19世紀以前は、基本的に大学は学問の教授と継承が行われる場だった。教授の学問を学生に授け、その学生がやがて教授となって、自分が教わったことをそのまま次の世代の学生に教えるのである。これによって学問は変化することなく連綿と承継されていく、というのが中世以来の大学の役割だった。大学で、それぞれの教授や学生が自分で自由に研究できるようになるのは、近代のハレ大学創設が世界最初のものとされている。
  2. 「シューレ」は「学校」(英語のschoolに相当)を意味する語。フュルシュテンシューレの「フュルスト」(ドイツ語: Fürst)は「侯爵」ないし「公爵」(侯爵と公爵の訳語の違いについてはフュルスト参照。)、ランドシューレの「ランド」はより広義の領邦領主や自由都市を含み、「君主立学校」のような意味となる。王国における「王立」や、「公立」に相当する言葉である。
  3. Pedagogyは教員のこと。
  4. 学術界では、世界言語としてのラテン語の使用は19世紀まで一般的に行われていた。英語とフランス語は、17世紀から18世紀にかけて、学問分野でもある程度使用されるようになっていた。ドイツ語圏でも学問分野ではフランス語が重視されており、ライプニッツは主要な著作をフランス語で著している。大学教育でドイツ語を用いる初の試みは17世紀末のトマジウスに遡ることができるが、実際にドイツ語が許容されるようになるのは18世紀以降のことである。
  5. ここでは、いわゆる総合大学(ドイツ語: Universität)と単科大学(カレッジドイツ語: College)の両方を含む。時代によっても制度が異なっているが、当時ははUniversitätとCollegeは単に学科の多寡だけではない区別が行われていた。
  6. 宗教改革が行われた時代と、現代ドイツでは教育制度が違っている。現在は体系化が進んでおり、かつてのゲレールテンシューレは、一般的には中等教育機関であるギムナジウムに位置づけられている。

出典

  1. 1.0 1.1 1.2 『世界教育史大系11 ドイツ教育史I』p86-89
  2. 2.0 2.1 2.2 ヴァイマー、シェーラー『ドイツ教育史』p89-92
  3. 3.0 3.1 3.2 『世界教育史大系11 ドイツ教育史I』p46-51
  4. 『ドイツ・ギムナジウム200年史:エリート養成の社会史』p2-11

参考文献

  • 『世界教育史大系11 ドイツ教育史I』,梅根悟/監修,世界教育史研究会/編,講談社,1976
  • 『ドイツ教育史』,H・ヴァイマー、W・シェラー/著,平野一郎/監訳,黎明書房,1979
  • 『ドイツ・ギムナジウム200年史:エリート養成の社会史』,M・クラウル/著,望田幸男ほか/訳,ミネルヴァ書房,1986,ISBN 4623016617
  • ICU比較文化叢書1『ドイツ都市宗教改革の比較史的考察―リューベックとハンブルクを中心として―』,棟居洋/著,国際基督教大学比較文化研究会,1992
  • 『啓蒙の都市周遊』,エンゲルハルト・ヴァイグル/著,三島憲一・宮田敦子/訳,岩波書店,1997,ISBN 4000006495