トリーア選帝侯
トリーア選帝侯(トリーアせんていこう、ドイツ語: Kurtrierまたはドイツ語: Kurfürstentum Trier)は神聖ローマ帝国の選帝侯の一人である。
選帝侯とは
神聖ローマ帝国では、1198年から皇帝を選挙で決めるようになった。その投票権を持つ者を選帝侯(ドイツ語: Kurfürst)という。選帝侯は、始めはマインツ大司教(マインツ選帝侯)、ケルン大司教(ケルン選帝侯)、トリーア大司教(トリーア選帝侯)、ライン宮中伯(プファルツ選帝侯)の4人だった。この4名はライン川流域の有力者である。
13世紀になって、これにザクセン公(ザクセン選帝侯)とブランデンブルク辺境伯(ブランデンブルク選帝侯)、ボヘミア王(ベーメン王)が加わり選帝侯は7名となった。17世紀にはプファルツ選帝侯に替わってバイエルン公(バイエルン選帝侯)が加わり、さらにハノーファー公(ハノーファー選帝侯)も加わった。
トリーア大司教位
- 詳細はトリーア大司教およびde:Bistum Trier(トリーア司教区)を参照。
歴代トリーア選帝侯
就位年 | 退位年 | 名前 | ドイツ名 | オランダ名 | フランス名 | 英語名 |
トリーア大司教も参照。
- 2世紀から21世紀までのトリーア司教のリストは下記参照。
関連項目
- 騎士戦争 - 1522年にトリーア選帝侯が攻撃されて始まった戦争。
日本語版
トリーア大司教(トリーアだいしきょう、ドイツ語:Erzbischof von Trier)は、カトリック教会の高位の司教で、神聖ローマ帝国の選帝侯の一人。
トリーアに司教座が設置されたのは4世紀である。中世になるとコブレンツなどライン川沿いにも領地を持ち、マインツ大司教、ケルン大司教と並んで神聖ローマ帝国の有力聖界諸侯となった。14世紀、トリーア大司教となったルクセンブルク家のバルドゥインが、兄ハインリヒ7世とその孫カール4世の皇帝選出に関わって影響力を拡大した。そのカール4世の金印勅書で、トリーア大司教は7人の選帝侯の一人に指定された。ナポレオンが登場すると、1801年のリュネヴィルの和約でトリーアはフランス領となり、皇帝選挙権を失った。その後、1806年に神聖ローマ帝国も解体された。
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