色のこと
提供: Test Wiki
2017年1月23日 (月) 20:41時点におけるJulyfestival (トーク | 投稿記録)による版
記事のスタイルをめぐって論争になってしまいました。第三者の仲裁を求めます。
- 直接の当事者は利用者:Quark Logoさんと私(利用者:㭍月例祭)です。
- 対象となる記事は、直接的には95ヶ条の論題およびノート:95ヶ条の論題です。ただし遠因があります。それは後段で書きます。
論点はいくつかありますが、根本的なところは記事・出典のスタイルの自由性とマナーに関わりがあると私は考えており、主に下記の文書が関係すると考えております。
- Wikipedia:スタイルマニュアル、Wikipedia:出典を明記する
- Wikipedia:礼儀を忘れない、Wikipedia:エチケット
- Wikipedia:記事の所有権
- Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない
具体的な論点は下記あたりになる、と私は考えています。
- 出典を明記するにあたって、ハーバード方式を強制されなければいけないのか
- 節構成は固定のものが強制されるのか
- 画像のレイアウトやサイズは誰が決めるのか
- 節構成や出典明記の方式を決める(選択する)のは誰か
後段でお示しするように、私(㭍月例祭)とQuark Logoさんのあいだには、過去に何度かスタイルをめぐる意見の相違が起きています。従いまして、私が提示するさまざまな過去事例が、私に有利なように公正さを欠いているのではないか、という見方もあろうかと思います。そのあたりは割り引いて見て頂いて結構です。これらはあくまでも㭍月例祭の見方だ、ということです。
Quark Logoさんの主張
㭍月例祭の主張
- 出典を明記するにあたっては、さまざまな方式が用意されており、自由に選択できる。「特定の方式でなければならない」というルールもないし、合意もないし、慣習もない。「さまざまな方式が認められる」という慣習はある。
- 画像のサイズやレイアウトについては、技術的な面でも創造力的な意味でも自由度が高いもので、選択肢は無数にある。ただし、選択肢が無数にあるからといって、誰もが自由に変えるとキリがないし、「この画像はサイズがこうでなければいけない」と合理的な根拠を持って決定づけられるような事情もあまりないので、無闇にそればかり変更することは避けるべき。
- 節構成は、スタイルマニュアルに「一例」があるものの、それはあくまで「一例」にすぎない。自由である。
- これらには多様性が認められている。記事には所有権はないのだから、誰でも自由に変更することはできる。とは言え、多様性が認められている条件下で、「他の様式に変更するだけ」の変更を行うことは、好ましいことではない。その記事の編集を行った者だって、それ相応の判断において画像のサイズやレイアウト、節構成、出典形式を整えているのであり、それはある程度尊重するべき。いくら「誰でも編集できる」とはいえ、記事の信頼性向上や加筆などに寄与しない利用者が、こうした「スタイルだけを変える」ことは「好ましい」ことではない。
- 特に、その「スタイルだけの変更」に対して異議がある場合には、そのスタイル変更を強行することは腕づくでの解決であり、少なくとも議論や合意を得てから「変更」をするべき。
Quark Logoさんは、こうした「自分の好みのスタイルの強制」をめぐり、過去に以下のような衝突を起こしています。
- Wikipedia:井戸端/subj/改名提案なしの記事移動について(2015年12月) - 利用者:Swaneeさんが立項した関の五本マツを、事前の相談、告知、議論を行わずに関の五本松へ改名し、トラブルになった案件。
- 関の五本マツは立項当初からWikipedia:月間新記事賞/2015年12月の候補になるような水準の記事でした。これはつまり、作成者はそれ相応の調べ物をし、記事名も含めて、その調べ物に基いて判断したものである、ということです。
- Quark Logoさんはそれを即時改名し、[[Wikipedia:井戸端/subj/改名提案なしの記事移動について|井戸端案件になり]、改名は差し戻しになりました。その後あらためてノート:関の五本マツで再度改名を提議なさいましたが、合意を得られませんでした。
- 第三者のコメント - 「即時改名が認められるほど「明らか」という判断が下せるものではないと思います。Quark Logoさんにおかれましては、今後は気をつけるようお願いします。」(利用者:Ks aka 98さん)[1]
- Quark Logoさんのコメント - 「即時改名ではなく改名提案をすべきだったことはその通りなんですが、改名論議は別にして、日本人としてこの名称への違和感は依然ぬぐえないです。そう思っている人は私だけでは無いでしょう。」「意見は対立したまま提案は流れるということでしょう。」[2]
- 第三者のコメント - 「それならば、「意見が対立したまま」ではなく、誤認であった、ということになるでしょう。」(利用者:Ks aka 98さん)[3]