アイリッシュボール
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2015年5月18日 (月) 18:46時点におけるJulyfestival (トーク | 投稿記録)による版
*アイリッシュボール(Irish Ball) 主な勝ち鞍/愛ダービー[G1]、ダリュー賞[G2]、ワシントンDC国際[G1]2着、英ダービー[G1]3着。日本輸入種牡馬。[1][2][3]
*アイリッシュボール Irish Ball[1]の血統 | |||
父 *ボールドリック 黒鹿毛 1961 |
Round Table 鹿毛 1954 |
Princequillo 1940 鹿毛 |
Prince Rose |
Cosquilla | |||
Knight's Daughter 1941 黒鹿毛 |
Sir Cosmo | ||
Feola | |||
Two Cities 鹿毛 1948 |
Johnstown 1936 鹿毛 |
Jamestown | |
La France | |||
Vienna 1941 黒鹿毛 |
Menow | ||
Valse | |||
母 Irish Lass 鹿毛 1962 |
Sayajirao 黒鹿毛 1944 |
Nearco | Pharos |
Nogara | |||
Rosy Legend | Dark Legend | ||
Rosy Cheeks | |||
Scollata 黒鹿毛 1952 |
Niccolo Dell'Arca | Coronach | |
Nogara | |||
Cutaway | Fairway | ||
Schiaparelli |
*アイリッシュボールはボールドリックの2年目の産駒で、フランス産馬である。
2歳の時にヘロド賞に勝ち、3歳になって愛ダービーに勝った。しかし、アイリッシュボールの評価としてはむしろ敗れた競走で知られており、英ダービーでミルリーフから4馬身半差の3着、ワシントンDC国際でアメリカチャンピオンのランザガントレット(Run the Gantlet)から6馬身差の2着、というのがそれである。
1972年にイギリスで種牡馬になると、その産駒がデビューするより早い1974年に23万5000ポンドで日本軽種馬協会が購入し、1975年1月に日本へ輸入した。母系には代々長距離血統が配合されており、スタミナを伝える種牡馬として大いに期待された。輸入の翌年、イギリスでの産駒ルーセント(Lucent)がオークストライアルに勝ち、さらに期待は高まった。 ところが日本での初年度産駒39頭が競走年齢を迎えても1年目の勝馬はゼロで、アイリッシュボールは日高から栃木県へ移されてしまった。その後、供用地はさらに千葉へ移動して種付料は10万円まで下がり、最後は北海道大学の付属農場へ寄贈された。1987年までは産駒がいたが、その後は産駒は生まれておらず、1992年1月16日付で用途変更となった。
中央競馬での重賞勝馬はハセシノブだけだが、ハセシノブはオールカマー、新潟記念、新潟大賞典と重賞を3勝した。このほか地方競馬では金沢競馬場(石川)でスパニッシュボールが重賞を2勝した(中日杯・白山大賞典)。