スカパフロー (1914年生まれの競走馬)
スカパフロー(Scapa Flow、1914年 - 1937年)は、1914年生まれのイギリス産サラブレッド。第17代ダービー伯爵エドワード・スタンリーによる生産馬である。繁殖牝馬となって、ファロスとフェアウェイという2頭のイギリス種牡馬チャンピオンを産み、サラブレッドの血統史上重要な足跡を残した。この2頭のほかにも1000ギニー優勝馬のフェアアイル(Fair Isle)を産んでいる[1]。
スリーチムニーズファームの血統分析担当のアン・ピーターズ(Anne Peters[2])は、スカパフローを「20世紀前半の偉大な繁殖牝馬の1頭」と評している[1]。
血統背景と来歴
血統表
来歴
第17代ダービー伯爵エドワード・スタンリーは、お抱え調教師のジョージ・ラムトンの勧めに従って、1912年にアンコラ(Anchora[注 1])という7歳の牝馬を購入した。これが後にスカパフローを産む[1]。
アンコラは競走馬として6歳まで走っており、ブライトンステークス(Brighton Stakes)1着、チェスターカップ(Chester Cup)2着など、51戦8勝の成績を残している。7歳になって繁殖牝馬のセリ市に出品され、ダービー伯爵が競り落とした。買値は1,966ポンドだった[1]。
アンコラの父馬は1896年のアスコット金杯の優勝馬ラブワイズリー(Love Wisely)である。アンコラは父に似て長距離適性があり、バネの利いた体躯を兼ね備えていたという[1]。
ダービー伯爵がニューマーケットにもつスタンレー・ハウス牧場に連れて行かれたアンコラは、そこでダービー伯爵が所有[注 2]する種牡馬チョーサーと配合された。こうして1914年に最初の子供として生まれたのがスカパフローである。幼駒時代のスカパフローは、体格には恵まれなかったものの、動きがよく、気質も優れてたという[1]。
競走成績
1916年に2歳になると、スカパフローと命名され[3]、ダービー伯爵の所有馬として出走した。だが、2歳の間は入着さえ1度もすることができなかった[1]。
1947年に3歳になったスカパフローは、下級戦である売却競走[注 3]にでるようになった。売却競走は、事前にその競走馬の売値を示した上でレースに出走させるもので、その値段で買うと手を挙げた者に対して売却しなければならない。あるときスカパフローに買い手が現れた。そのときになって、ジョージ・ラムトン調教師はスカパフローを売るのが惜しくなった。このとき、買い手はラムトン調教師の意を汲んで、入手したスカパフローをラムトン調教師のもとへ返還した[1]。
アメリカのスリーチムニーズファームで血統分析を担当するアン・ピーターズ(Anne Peters[2])は、もしもスカパフローが返還されていなかったら、サラブレッドの歴史は大きく変わっていただろう、と述べている[1]。
スカパフローはこのあと12ハロン(約2414メートル)の競走で初勝利をあげた。秋にはニューマーケット競馬場でスカボローステークス(Scarborough Stakes[注 4]、12ハロン)に勝った[1]。
ラムトン調教師の見立てでは、スカパフローは母馬に似て晩成で長距離に向き、翌年4歳になればもっと期待できると考えた。しかし馬主のダービー伯爵は引退を望み、これにしたがってスカパフローは競走生活から引退して繁殖牝馬となることになった[1]。
繁殖牝馬として
スカパフローは、ダービー伯爵の牧場に入り、そこで9頭の産駒をもうけている。うち8頭が勝ち上がり、6頭がステークス競走に勝っている[1]。
このうち、2番めの産駒が1920年生まれのファロスである。ファロスの父馬はダービー伯爵の新種牡馬ファラリスだった[1]。ファラリスは短距離タイプの競走馬で、長距離型を好むダービー伯爵は現役を退いたファラリスを売却しようとしたのだが、買い手がつかなかったために自己所有種牡馬として1919年から供用したのだった[4]。ファロスは3歳(1923年)のときにダービー(12ハロン)で2着に入り、4歳(1924年)のときにチャンピオンステークス(10ハロン=約2012メートル)に勝った[1]。
この間、1920年から1923年まで、スカパフローには種付料が安価な種牡馬が配合されていたものの、得られた産駒は1頭だけだった。1924年になって、ファロスの活躍を見て、再びファラリスが配合された。こうして1925年に誕生したのがフェアウェイである[1]。
フェアウェイは1927年に2歳戦でデビューし、早速コヴェントリーステークスやジュライステークス、シャンペンステークスといった重要な2歳戦に優勝した。3歳(1928年)にはダービーに本命で出走したが、アクシデントの影響で7着に敗れている。しかしその後はエクリプスステークス、セントレジャーステークス、チャンピオンステークスに優勝。翌4歳(1929年)にもチャンピオンステークスやジョッキークラブカップに勝った[1]。この間、ファロスやフェアウェイの父馬ファラリスは1925年と1928年にイギリスの種牡馬チャンピオンとなっている[5]。
その後もスカパフローには毎年のようにファラリスが配合された。1927年に誕生した牝馬フェアアイル(Fair Isle)は1930年に1000ギニーに優勝した[1]。フェアアイルは繁殖牝馬として大いに期待されたが、3頭しか仔を産まなかった。そのうち1頭のセイントマグヌス(St.Magnus、1933年生まれ)はリバプールサマーカップなどに勝ち、オーストラリアで種牡馬になって成功した。フェアアイルの牝駒マザーランド(Motherland、1937年生まれ)は、母となってルールブリタニア(Rule Britannia、1946年モールコームステークス優勝)を出した[1]。
種付け当時の1919年には
主な子孫
脚注
注釈
- ↑ 「anchora」は、「錨」を意味する語。ラテン語では「Ancora」と綴り、これを英語風に転記したのが「anchora」。英単語としては「アンカー(Anchor)」。
- ↑ チョーサーは、17代ダービー伯爵の父、16代ダービー伯爵の生産馬である。16代伯爵は1908年に没し、17代伯爵が牧場や所有馬を相続した。
- ↑ 売却競走は「セリング(selling)競走」や「クレーミング(claiming)競走」と呼ばれる。「クレーム(claim)」は「申し出」「債権」「請求」などの意味。
- ↑ Scarborough(スカボロー)のカタカナ表記には、スカボロー、スカーブラ、スカーバラなどさまざまな異表記がみられる。
出典
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 サラブレッド・ヘリテイジ Scapa Flow 2017年8月9日閲覧。
- ↑ 2.0 2.1 サラブレッド・ヘリテイジ Contributors 2017年8月9日閲覧。
- ↑ 「スカパ・フロー」は、イギリスの北部にある軍港である。1914年に始まった第一次世界大戦では、ドイツ帝国海軍の大洋艦隊と対峙するため、イギリス海軍の拠点となった。1916年には、スカパ・フローから出撃したイギリス艦隊とドイツ艦隊のあいだでユトランド沖海戦が行われている。
- ↑ サラブレッド・ヘリテイジ Phalaris 2017年8月9日閲覧。
- ↑ サラブレッド・ヘリテイジ Leading Sires of Great Britain and Ireland 2017年8月9日閲覧。
引用エラー: <references>
で定義されている <ref>
タグ (name="JBIS-5.E4.BB.A3") は、先行するテキスト内で使用されていません。
<references>
で定義されている <ref>
タグ (name="JBIS-.E5.9F.BA.E6.9C.AC") は、先行するテキスト内で使用されていません。