ジョージ1世
出自
ジョージ1世(George I)はもともとドイツ(神聖ローマ帝国)の生まれである。イギリスの王位に就くまでは、ドイツではゲオルク・ルートヴィヒ(Georg Ludwig)と呼ばれていた。
父親はエルンスト・アウグスト(1629年 - 1698年)という。父は
前史
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国の歴史は12世紀に遡る。公国は主にニーダーザクセンと呼ばれるドイツ北西部に複数の領地を有しており、ブラウンシュヴァイク、ヴォルフェンビュッテル、アインベック、グルーベンハーゲン、ゲッティンゲン、リューネブルク、ツェレなどから構成されていた。公国は親子や兄弟間で領土の分割や合併を繰り返していて、時代によってさまざまに編成されてきた[注 1]。
1634年にフリードリヒ・ウルリヒが没すると、嗣子がいなかったので領地は分割され、ヴォルフェンビュッテル侯領はアウグスト2世に、カレンベルク侯領とゲッティンゲン侯領はゲオルク(1582年 - 1641年)が継承した。このゲオルクがジョージ1世の父方の祖父である。このときゲオルクは首都をカレンベルクからライネ川沿いのハノーファーへ遷した。
ゲオルクの男子のうち成人したのは4人いた。ジョージ1世の父であるエルンスト・アウグスト(1629年 - 1698年)は末弟であり、ジョージ1世が1660年にエルンスト・アウグストの長男として生まれた時点では、エルンスト・アウグストがゲオルクからカレンベルク侯領を受け継ぐ見込みはほとんど無かった。翌1661年に、ゲオルクはエルンスト・アウグストをオスナブリュック司教(オスナブリュック司教)に任命した。
を中心とするブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領、
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家では、1635年に所領の分割を行い、カレンベルク侯領とゲッティンゲン侯領を
ヴィルヘルム(1535年 - 1592年)
い、ゲオルクが誕生した1660年の時点では、
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公エルンスト・アウグストと [1]
脚注
注釈
- ↑ この公国はもともとドイツの古い家系であるヴェルフ家が有していた。その領地は主にブラウンシュヴァイクとリューネブルクから成ったので「ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家」と称した。
出典
- ↑ ドイツ歴史委員会(Historical Kommission)・バイエルン科学アカデミー(Bavarian Academy of Sciences),DB(Deutsche Biographie),https://www.deutsche-biographie.de/sfz27817.html Georg Ludwig],2017年10月18日閲覧。