ブランの戦い
fr:Bataille de Blain(oldid=141996029) ブランの戦い(フランス語: bataille de Blain、843年5月24日)は、フランス・ブルターニュ地方で起きた戦いである。メサックの戦いで敗れたブルトン人連合軍が、フランク人に反撃してこれを打ち破ったもの。
La bataille de Messac
「ブルターニュ公」となったブルトン人のリーダーノミノエは、ブルターニュ領拡大のため、ヴィレーヌ川の東へ軍を進めていた。その先陣をノミノエの息子エリスポエが担っていた。フランク人側のエルボージュ伯・ナント伯のルノーはヴィレーヌ川岸で起きたメサックの戦いで、ブルターニュ軍に勝った。
プリュムのレギノ(?年 - 951年)にによる年代記やいくつかの修道院に伝わる史料では、メサックの戦いの当時、ノミノエは重病に罹っていて、息子のエリスポエが全軍を率いていたとも伝える。このあと、ブランの戦いが起きた。
La bataille de Blain
メサックの戦いの後、ルノーは、ブルターニュ軍は潰滅しており行動不能だと判断し、自軍をナントへ引き返させた。その帰途、ブランで全軍に休息をとらせた。『ナント年代記』によれば、ルノーの将兵は、まったく無防備なままイサック川(Isac)の川岸の草地に寝転がっていたのだという。そこをランベール2世率いる大軍が急襲した。
ランベール2世はシャルル2世によってナント伯位を剥奪された人物だった。ランベール2世はノミノエが率いるブルトン人と組むために、アンジューで集めた兵を引き連れてヴィレーヌ川へ向かってきたのだった。ランベール2世軍は油断していたルノーの兵を徹底的に打ちのめし、大殺戮を行った。ランベール2世もナント伯位を奪ったルノーに復讐を果たした。ランベール2世自らルノーを討ち取ったという。843年5月24日のことだった。この勝利と、さらに続くいくつかの戦勝により、851年のアンジェでの協定が結ばれ、ナントとレンヌの一帯はブルターニュ領と認められることになった。
脚注
注釈
出典
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