古クレイヴンS
第6代クレイヴン男爵ウィリアムが爵位を継いだのは1769年のことであり、当時男爵は31歳の若さだった。この競走の創設はそれからわずか2年後のことである。
1771年の開催にあたって、1口5ギニーの寄付が募られ、21口の寄付が集まった。これを賞金として行われたのが第1回のクレイヴンステークスである。この競走は、「この濠から土地の端まで」という条件で行われ、14頭が集まった。勝ったのはヴァーノン氏(Mr Vernon)氏のパンタルーン(Pantaloon)だった。
かつてイギリスでは、サラブレッドが一人前になるのは7歳とか8歳になってからで、その年齢になってようやく「まともな距離」、つまり、6マイルや8マイルの距離を走れるだけのスタミナを備えるようになるというのが常識だった。競馬に出るのは早くて5歳ぐらいからだった。
18世紀はこの旧来の価値観がどんどん書き換えられていった時代で、1720年代に4歳馬のレースが行われるようになり、3歳馬のレースが本格化するのは1760年代のことである。このような時勢だったので、1771年に創設のクレイヴンステークスも古馬の競走で、1870年代まで古馬との混合戦だった。今では、これを古クレイヴンステークスと呼んでいる。なお、古い時代のクレイヴンステークスの記録を見る際には、馬齢には注意が必要である。というのも、当時は5月1日に馬齢を1増やしていたので、4月のクレイヴンステークスの出走馬が「3歳(3yo)」と書いてあったら、それは現在でいう4歳馬のことである。
この競走は毎年4月の月曜日に行われることになっていて、たいてい、ニューマーケット競馬場のシーズン最初の競走だった。当時の勝ち馬として、ウッドペッカー(Woodpecker)が3勝、バザード(Buzzard )が2勝を記録している。
古クレイヴンステークスの優勝馬には、ウッドペッカー以外でも、ポテイトーズ(Pot 8'os)、セリム(Selim)など、サラブレッド血統史の初期に登場する馬がその名を残している。
クレイヴン男爵は競馬以外でも名を残している。有名な例では、ロンドンにあるサッカー競技場の「クレイヴン・コテージ」がそれで、これは18世紀にクレイヴン男爵が狩猟用の小屋(コテージ)に由来し、19世紀の終わりに消失したまま放置されていた空き地でサッカーの試合が行われるようになったものである。
6代クレイヴン男爵にはたくさんの息子がいたが、そのうちヘンリー・オーガスト・バークレー・クレイヴン(Henry Augustus Berkeley Craven)は過度に競馬にのめり込んだ。彼は1836年のダービーで、ヴェニソン(Venison)に8000ポンドも賭けた。レースはベイミドルトン(Bay Middleton)が優勝し、ヴェニソンは3着に終わった。その日、ヘンリー・クレイヴンはエプソム競馬場から自宅へ帰ると、ピストル自殺をした。
歴代勝馬
1800年-1809年
' | . | 4.14(月)古クレイヴンS /the Craven Stakes of 10gs each 〔賞金:50ポンド〕 | |||||||||
Newmarket〈Craven Meeting〉 ・Across the Flat /1m2f44yds(2052m) | |||||||||||
1 | Oscar | 4 | 牡 | Saltram | Mr.Turnor | 8st9lbs | ≒54.9Kg | ||||
2 | First Fruits | 2 | 牡 | Grouse | D.of Grafton | 6st | ≒38.1Kg | ||||
3 | 名無し | 3 | 牡 | Meteor | Ld Clermont | 8st | ≒50.8Kg | ||||
4 | Diamond | 長 | 牡 | Highflyer | Mr.Cookson | 9st7lbs | ≒60.3Kg | ||||
5 | Voltaire | 3 | 牡 | Pegasus | Mr.Coventry | 8st | ≒50.8Kg | ||||
※ | 馬齢は5月に+1歳となる |