カーウェン家
カンバーランド州
カンバーランド州はイングランドで最も北西にある州で、北はスコットランドのギャロウェー地方だ。イングランドにとって北の最果てではあるが、西岸海洋性気候のため海岸部の平地はそれなりに暖かく、1月でも平均気温は4度ほど。そのかわり夏は涼しく、7月は平均15度ほどしかない。こうした気候は酪農に適しており、バーデン川がつくった肥沃な沖積平野では古来から牧畜が行われてきた。
景勝地やピーターラビットで有名な湖水地方を含んでいる。1970年代の州の再編で、南隣のウェストモーランド州と合併し、今はカンブリア州になったけども、北の果てという地理から独特の歴史を紡いできた土地だ。
カンバーランド史
紀元前の時代までこの地域はブリトン人らケルト系民族の土地だった。1世紀にローマ人が侵攻、北へ北へと進軍して、いっときスコットランドにまで侵入した。しかしカレドニア人(ケルト人)に押し戻され、カンバーランドがローマ帝国とカレドニア人の国境になった。ローマ人はここに長城を築き、カレドニア人が南下してくるのを防ごうとした。
4世紀から5世紀にかけて、ゲルマン民族の大移動によってローマ帝国が瓦解した。ローマ人はこの土地から去ったが、いれかわりで、北からはカレドニア人(スコットランド人)、南からはサクソン人らが侵攻してきた。しかしカンバーランドのブリトン人は、湖水地方の山岳地形を活かして侵略者に対抗し、数世紀にわたり独自の王国を維持した。しかし945年、カンバーランド王国の最後の王、ダンメイル王が、湖水地方の峠道でスコットランドとサクソン人の連合軍を相手に戦い、敗死したという。合戦のあと、スコットランドの王とサクソンの王は、この峠をお互いの王国の国境にした。(これはのちにカンバーランド州とウエストモーランド州の境になった。)以後、カンバーランドはスコットランド王国領になった。
1066年にフランスのノルマンディー地方からノルマン人の王ウィリアム1世がブリテン島に侵攻し、イングランドを征服した。しかしこの時代もカンバーランドはスコットランド王国領だった。イングランド王国のあとを継いだウィリアム2世は、カンバーランドをスコットランドから奪い取った。しかし12世紀に入るとスコットランドがカンバーランドを取り戻し、それをまたイングランド王国が奪い返すということが続いた。