トーク:初代グローヴナー伯爵
mortimer
- p251-252
たっぷりとした規模(princely scale)で、25万ポンドを費やしたと伝わる。
おそらく、これは賭けたぶんが相当含まれるだろう。
有名なイートンスタッド(チェシャー)を創設。
1784,1785、1786、1788とダービー2着を繰り返したが、1790にRhadamanthusで初制覇。
- ダービー
- Rhadamanthus 1790
- John Bull 1792
- Daedalus 1794
- オークス
- Faith 1781
- Ceres 1782
- Maid of the Oaks 1783
- Niké 1797
- Bellina 1799
RhaとDaeは全兄弟。全兄弟でのダービー制覇は9組。
世界史
- p80
Pot8osは1773年にアビングドン卿が生産し、グローヴナー卿へ売却したもの
- p85
爵位を得る時、国王の手に接吻するかわりに、ニューマーケットにおける馬の試走を凝視していた
ジムクラックを一時期所有していた(ワイルドマン→ボリングブローク→サラの夫(バンベリー)→グロ→ローラゲ卿)
- p94
1766年に、ハイド・パーク・コーナーの背後の荒れ地にある所有地の一角を、リチャード・タタソールに貸与した。
そこで毎週2回、馬の取引を行う競り市をひらいた。
1773年にはキングストン公の相続に際し、所有馬を一括して売却する大掛かりな競り市を実施。これで有名になった。
- p98
18世紀の競馬人としては、競馬に最もお金を費やした人物の一人。(もうひとりはエジャモント卿)
- 238
『ジェネラルスタッドブック』(1800)には、「グローブナー卿の競走馬用牧場は比類のないものである」とある。
マンブリーノは、天性の速歩馬を出し、乗用馬車馬をだす名種牡馬になった。
Heath and Horse
- 52
- 4代グローヴナー準男爵(伯父)の所有馬が競馬に出ている様子を描いた絵がある(1724年頃のニューマーケット)
- 68-69
グローヴナー卿のお抱え調教師/騎手がJohn Pratt
ジェニソン・シャフトが1771年に没した以後は、グローヴナーが英国最大の馬主。
金を使いすぎたせいで、1802年に没するまでの最後の時期は、だいぶ控えめになった。(それでも相当な規模だった)
スタッブスのパトロンだった。
1769年にジムクラックを購入
ロンドンのハイド・パークでタタソールに
great grandsonひ孫のdukeはOrmondeとFlying Foxのオーナー ヒュー・グローヴナー (初代ウェストミンスター公爵)
ハイドパークのほか、BalsamのOxcroft Farmを所有し、種牡馬を繋養した
he had the largest string of all in the later decades of the eighteenth century
(stringは競走馬の数のこと)
he loses 300,000 £ 1802年に死ぬまで
- 70
1791年、グローヴナーが登録した競走馬は32頭。
同年、プリニーが39頭。(Duke of Bedfordが30頭)