紙面の制約と略語の使用

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ウィキペディアは紙の印刷物ではない

ウィキペディアは紙製の百科事典ではありません

紙の印刷物では、紙面の制約があります。そのため、紙面を節約するためのさまざまな工夫が行われています。ですがウィキペディアはそうした制約を必要としません。紙面節約のために一般の印刷物で行われている慣行をそのまま持ち込む必要はありません。

また、紙の印刷物は、ある時点で締切があり、印刷されて刊行されることで「静的」な状態になります。つまり、刊行後は改変されることが絶対にありません。これに対し、ウィキペディアは常に改変される可能性があります。そのため紙の印刷物で行われる慣行が適さないものもあります、

略してはいけない、略さないほうがよい、略さなくてもよい

紙の印刷物では省略形や略語を使う場合でも、ウィキペディアはそうする必要はありません。

ウィキペディアは、初学者が参考にするものだということをお忘れなく。わかりにくい省略形よりは、きちんと書いたほうがわかりやすいということもあるでしょう。その略語を知らない読者が、わざわざ更に調べ物をする羽目になることを考慮してください。

下記文書も参照してください。

単位記号類

メートル、グラム、などは「m」「g」などと略記号を用いず、「メートル」「グラム」と表記することになっています。読み上げソフトなどの挙動にも影響します。

「キロ」では「キロメートル」なのか「キログラム」なのか判別しがたいという場合もあるでしょうから、きちんと「キロメートル」などと書きます。

紙の論文などで多用される注釈記号類

  • Ibid. - 参考文献などを示す際に「同書」を意味する。
  • Op. cit. - 「前掲書」

ウィキペディアは常に改変されます。「同書」「前掲書」としても、あとから直前に別の文書が追加されることもあります。ですので、毎回、文書名をきちんと表記するべきです。そのほうが初学者にとっても親切でしょう。

  • 「同書」「前掲書」となっていると、どの文献なのか、遡って確認する手間が増えます。

歴史の人物

日本史・世界史の分野では、2回め以降の登場のときに、人物名を「姓名」ではなく「名」だけで記す慣習があります。

ですが、毎回省略せずに「姓名」を記すほうが読者に親切かもしれません。ただし程度問題です。やりすぎると冗長に過ぎるということもあるでしょう。

すると義政義敏に命じ、義孝政長の戦いを仲裁するため、政則のもとへ政房を遣わした。これに対し義孝は義政を批難し、政長と結んで挙兵した。
改訂 すると足利義政斯波義敏に命じて斯波義孝畠山政長の戦いを仲裁するため、赤松政則のもとへ一条政房を遣わした。これに対し斯波義孝足利義政を批難し、畠山政長と結んで挙兵した。
  • 日本史の分野では、偏諱によりしばしば似たような名前の人物が同時期に多数登場します。読者は混乱するかもしれません。きちんと姓名を記したほうが、すんなり読めるかもしれません。
するとジェームズ1世チャールズ1世に命じ、カール1世シャルル1世の戦いを仲裁するため、カルロス1世のもとへルイス1世を遣わした。これに対しシャルル1世はカルロス1世を批難し、ルイス1世と結んで挙兵した。
改訂 するとイギリス王ジェームズ1世チャールズ1世に命じ、オーストリア皇帝カール1世とフランドル伯シャルル1世の戦いを仲裁するため、ポルトガル王カルロス1世のもとへベルギー王レオポルド1世を遣わした。これに対しフランドル伯シャルル1世はポルトガル王カルロス1世を批難し、ベルギー王レオポルド1世と結んで挙兵した。
  • ときには「肩書」などを補うほうがわかりやすいかもしれません。

ハーバード方式

ハーバード方式は、参考文献を「著者名、発行年」のみで略記する方式です。

学術論文などの分野では普及した方式です。とはいえ、ウィキペディアはこれにこだわる必要はないでしょう。「田中、2021」とだけ書かれても何がなんだかわかりませんよね。結局「田中、2021」とはどんな文献なのかを調べに行く必要があり、二度手間です。

最初から「田中一郎著、『ハーバード方式のすべて』、田中書籍、2021年刊」と書いてあれば一度でわかります。紙面の制約のために文字数を減らす必要など何もないのですから。

本文に直接文献名などを記述する際と、脚注機能を用いて別掲する場合では、考え方を分けることも必要です。

意見の相異がある場合

上で示した例は、一般的な文献の慣習に反するものがあります。ウィキペディアの利用者には、一般的な紙の印刷物の慣行にしたがうべきだと考える方も大勢います。いちいち全部書くのは冗長だと感じる人もいます。

しばしば、調べ物をして記事本文の加筆改良を行うことなく、スタイルだけの変更をしていく利用者が、他の執筆者から煙たがられることがあります。

教条主義や編集強行に陥ることなく、他の利用者の意思も確認し、考慮してください。

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  • テンプレート:コあくまで「思考実験」として。
  • 考え方として「数を絞る」というのは、方法論としては一理あります。紙の出版物の場合には紙面の都合で「何件まで」みたいな制約ができますが、これは「厳選」につながります。ウィキペディアでも「記事があるべき100の項目」みたいな考え方があります。
  • こうした数値目標をうまく運用するには、分野ごとの整合性みたいなものを定めるのも必要で、それはつまり「戦国武将は300人」「Youtuberは10人」みたいに分野別の軽重を定めることにつながるでしょう。これは結局「どう分野をわけるか」という話になります。「Youtuberは10人だけどVtuberも10人ね」みたいに細分化していくと、当初の「厳選」の目論見が形骸化しますから。・・・しかし「編集長」がいる紙の出版物と違い、ウィキペディアではこうしたことを決めるのは至難でしょうね。。。
  • もう一つの考え方として、「総数のうち上位1%」みたいに考えることもできるのでは。全Youtuberがどのぐらいいるのか想像もつきませんが、[1]によれば、「登録者10人以上」と定義した場合には、日本で62万だそうです。で、このサイトでは「生計を立てられる」水準として「2000」=「0.3%」という数を示しています。あくまでもこのサイトが言っているのは「生計を立てられる」=他の職業との整合性、ということであって、これ以下のYoutuberが箸にも棒にもかからないと言っているわけではないです。
  • 私がいる競馬分野では、当座のめやすとして「重賞勝ち」で合意があります。これだと日本のJRAだけで毎年140-150頭といったところ。ヒトとウマでは活動スパンが違うので単純比較できないですが、競走馬は総数が40000ちょっとなので、ざっくり0.3%ということで、全くの偶然ですが、符号します。
  • 競走馬の「目安」をどう考えるかですが、「重賞勝ち」であれば『優駿』『競馬ブック』などで特集記事が組まれるのは確実なので、「情報源の裏付けが確実に見込める」ラインに基準が置かれているのだと解釈することができます。(それは「定常的な報道」ではないのかという疑問はありうるとも思いますけど。)
  • 競馬分野には正真正銘の『名鑑』が刊行出版されていて、母数の40000頭すべてを確認できるという特性があり、おそらく野球選手やサッカー選手でもそういう性格があるはずです。そこはYoutuberとは違いがあるとは思います。
  • 基準を数字で固定化するのは世の中の変化についていけないという欠点もあると思います。数を絞って厳選する必要があるのかという意見に通じるでしょう。
  • ただし私が一番重要だと考えるのは、「作成の基準と削除の基準は別物だ」ということです。「作成の基準をクリアしていない」=「削除」だとは私は考えていないです。そして「基準を満たさないものの作成を技術的に妨げることはできない」というのも、この手の問題の根っこにありますね。--Julyfestival 2021年2月20日 (土) 18:31 (JST)

2

  • テンプレート:コ WP:NOTがらみのいろいろなことが複合していて悩ましいですね。
    • ウィキペディアはネット媒体なので「Youtuberのことを気軽に書きたい人」が多い
    • いわゆるサブカルチャー分野であり、堅い情報源はのぞみ薄
    • 紙文献で採り上げられるよりネット媒体のほうが圧倒的で「信頼できる」の判定がむずかしい
    • (本来は不適な)一次情報源が常態化しやすく「中立的」の問題がおきやすい
    • 大抵は存命人物でNOTNEWSと百科事典的歴史的評価との折り合いが難しい
    • チャンネルの宣伝と化すこと(チャンネルへの誘引がそのYoutuberの経済的利益に直結する)
    • 芸能分野で広く起きている「ファンサイト化」
  • このへんはYoutuberに限ったことではないので・・・
  • (前にどこかで別の分野で書いたことがあるような気がしますが)いろいろな分野に「基準」がありますが、「作成の基準」と「削除の基準」は別だ、というのが私の考えです。つまり、「青信号」(作成基準)と「赤信号」(削除基準)が別々にあり、「青信号がついていない場合は必ず削除だ」とは言えない、と私は考えています。「目安(青信号)」が点灯していれば事故が起きる可能性は0%。赤信号が点灯している時に進行したら100%事故が起きる。でも、「青信号が点灯していない(赤信号も灯いていない)」場合には、進行しても事故が起きないこともあるし、事故が起きることもある。ただしこの考えは一般的に受け入れられているものではなく、信号は1つで「点灯ならセーフ、非点灯ならアウト」と一灯で判定しようという考えの方もいます。どちらで運用するのか決めずに「基準」をつくっても、根本的な問題解決にはならないでしょう。
  • 実効性を考えると、赤信号として「基準をクリアしていない場合には即時削除です」ぐらいの効力を持たせない限り、「乱造」問題は解決しないでしょう。でも今は削除の方針・即時削除の方針でそこまでの定めはないですから、結局は個別審議になります。


  • 「基準」には歴史的な後・先の問題もあります。もともと古くは、削除依頼が多発混乱したために、各分野で基準を作ってくれという要請がありました。いまの「基準」の多くはその名残です。
  • 一方、独立記事作成の目安がガイドラインに昇格したのは割と最近です。これには「一般的な目安」として、情報源の存在を指標と定めています。ただ、この「一般的な目安」と「分野別の目安(基準)」の関係はどうなっているかについては「現状は定めがない」としか言いようがありません。
  • 私なりに「分野別目安」と「一般的目安」の整合性を考えると、次のようになります。
    • 「分野別目安」をクリアしているならば、「一般的目安」(情報源の存在)は確実にクリアするだろうと推測できる。なので、特筆性を証明する適切な情報源が未だ示されていない場合でも、当面は「特筆性はある」として扱う。
    • これは当座の扱いであり、削除審議などで、適切な調べ物がじゅうぶんに行われてもなお「情報源が見当たらない」ことが示されるならば、「分野別目安」をクリアしていても統合・削除となる事はありうる。
  • つまり「登録数100万を超えていれば、適切な情報源の存在はまず確実だろう」ということです。逆に言えば、「適切な情報源の存在はまず確実」なラインに分野別の目安を設けるということです。Tamago915さんのおっしゃる「内部指標」と、Bellcricketさんのおっしゃる一般的な目安とを、どうにか折り合いをつける考え方というところです。
  • この考え方は「作成」と「削除」の信号が二灯式だというところに立脚しています。--Julyfestival 2021年2月20日 (土) 18:31 (JST)