Niccolo Dell'Arca
ニコロデラルカ[1](Niccolo Dell'Arca)はイタリア産馬。競走馬としてはイタリアの三冠馬となり、種牡馬としてもイタリアのクラシックウィナーを輩出し、同国のリーディングサイアーとなった。ニコロデラルカはネアルコの半弟でもあり、後世へは特に牝馬の父として影響力を残した。同じハリーオン系の中ではクラナックと同じ年生まれである[2]。
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伊3歳チャンピオン 伊リーディングサイアー(1948-1949)
主な勝鞍 伊2000ギニー、伊ダービー、伊セントレジャー、ドイツ賞、イタリア大賞、ミラノ大賞典、伊グラン・クリテリウム、エマヌエーレ・フィリベルト賞
ニコロデラルカの母ノガラ(Nogara)は現役時代14勝、イタリアの1000ギニーと2000ギニーを勝った名競走馬だった。ノガラが1935年に産んだのがネアルコで、3歳(1937年)から7戦7勝してただならぬ活躍をした。翌1938年に生まれてきたのがニコロデラルカで、この馬が競走年齢に達した1940年には、もうネアルコは無敗のまま引退して種牡馬になっていたが、 まだネアルコの産駒が競走馬としてデビューする前だった[3]。ニコロデラルカはネアルコ同様、イタリアのグランクリテリウムを勝つなど2歳戦から華々しい活躍をし、3歳になると、イタリアクラシック三冠をはじめ、イタリア、ドイツの大レースに勝った[4][5]。
生産者兼馬主のテシオは、ネアルコは現役競走馬のうちに売却したが、ニコロデラルカは手元に残し、ドルメロ牧場で種牡馬とした。イタリアでの代表産駒は1945年生まれの牝馬2頭で、アストルフィーナ(Astolfina)はイタリアの1000ギニー、2000ギニー、オークスに勝ち、トレヴィサナ(Trevisana)はイタリアのグランクリテリウム、セントレジャーやミラノ大賞典、ジョッキークラブ大賞典、イタリア大賞典に勝った。これらの活躍でニコロデラルカは1948年・1949年にイタリアのリーディングサイアーとなった。牡馬ではイタリアダービー・セントレジャーの二冠を制したドーミエ(Daumier)が出たが、ドーミエは引退後アメリカに種牡馬として売られた。ほかには、初年度産駒である1943年生まれのブオナミカ(Buonamica)という牝馬が、後に三冠馬ボッティチェリ(Botticelli)や二冠馬ブラック(Braque)を出しているのが代表的である[4][6]。
イタリアで6年間種牡馬として供用されたが、1947年の供用シーズンのあと、ニコロデラルカはイギリスへ売却された。したがって、上述の牝馬2頭の活躍でイタリアのリーディングサイアーになった1948年にはもうニコロデラルカはイギリスへ売却された後だったのである。イギリスでの代表産駒は2歳牝馬チャンピオンになったビービーグランデ(Bebe Grande)だが、あまり人気が出なかったためにフランスへリースに出された。その2年後にニコロデラルカはフランスで死んだ[4][7]。