利用者・トーク:Julyfestival
保護されちゃったので
長くなって可読性を損ねるので本文はノートに書きます。要点は次のとおりです。
- 門外漢が「簡単に出典が見つかる」というのは信用出来ない。
- (例)デビュー当初「うちの馬は全てお前に任せる」と告げた渡辺は、他厩舎からも騎乗馬を回してもらうよう手配するなど角田を支援。← 「シンビクトリー」はい論破。(シンビクトリー、と言っただけで何も調べなくてもピンと来ない人は門外漢です。)
- (例)重賞勝利38勝 通算713勝←嘘。間違い。大きなミスがある。私は角田騎手が重賞を少なくとも39勝、通算勝利数が714勝以上である証拠を出せる。
- (例)騎手成績の「初騎乗」3歳未勝利←嘘。間違い。正しくは「4歳未勝利」です。初勝利の方を「4歳上400万円下」としている以上、馬齢表記方法が違う、という言い訳は通りませんよ。こんなの出典を確認するまでもなく、1秒でおかしいとわかる。「1989年3月4日」に「3歳未勝利戦」がある可能性は100%ありません。
- こういう出典のない基礎データの1行目から間違いなんだから、この表はなんだか信用出来ないぞ、これ以上全部自分で検証するより、書いた人に根拠を示せと要求しようと思うのは理解できます。
- いきなり「検証可能性、存命人物」と一般原則を持ち出すのじゃなく、具体的な問題点を指摘すればいい。それはどっさりある。私なら、今の角田晃一のほぼすべての記述に一文毎に異なる問題点を(やろうと思えば)指摘できる。
- 私はHOPEさんが「単に出典がないというだけの理由」で除去したのではない、と信じています。ちゃんと個別具体的な問題点がある(ノート:角田晃一に列挙しました)。しかしそれを説明しないのが悪い。説明せずに「出典がない、存命人物、以上。」では喧嘩になるのもしょうがない。
- 記述を残したいなら出典を示す。除去したいなら問題点を指摘する。しかしそれ以外にも、表現を改めるとか、ノートに移すとか、さまざまなタグ・テンプレートを細かく使い分けるという方法もあります。
- 個別具体的な問題点はノートに書いたのでそちらを参照してください。
- 「主題についてよく知っているか」しだいで、記述が妥当かどうかの判断は変わり得るものです。一例を示します。
- 競馬とは無縁の環境であった鳥取 これホントっぽいと思いますか?
- 鳥取は、少なくとも鎌倉時代からの馬産地だった。
- 特に名和町のある大山の裾野一帯は中国地方を代表する馬産地だった。
- 名和駅から5駅いった米子には公認競馬場があった。
- 名和町から4駅の赤崎には国営の種馬所があった。サラブレッドもいた。あの偉大な名種牡馬オーバーヤン五ノ六の産駒も鳥取で種牡馬になった。
- 日露戦争でステッセル将軍が乃木将軍に寄贈した名馬壽号は赤崎で種牡馬として繋養された。
- 赤崎の観光地のひとつ神崎神社では馬を祀っている。
- 神崎神社の例祭では臨時列車が運行されるほど近隣から人が集まった。
- いま、米子には場外馬券場があり、ど田舎にの岩美にも地方競馬の場外馬券場がある。
- ウィッシュドリーム、ナムラサンクス、キズナ、サカラート、これらの重賞勝馬には「鳥取県大山町」という共通点がある。
- 競馬はテレビやラジオでもやっていて、電話で馬券も買える。
- 角田騎手が幼少の1970年代、日本競馬史上最大の競馬ブームの時期だった。
- 1973年のハイセイコーは日本人全員が夢中になったと言われている。
- 当時、ハイセイコーの騎手が歌ったレコードがヒット曲になるほどだった。
- これでも鳥取県名和町にいたというだけで「競馬と無縁の環境だった」と言い切れますか?お父さんがハイセイコーをテレビで見ていた可能性はゼロですか?これぐらい書くと、たとえもし『別冊宝島』が「角田は競馬と無縁の鳥取で育った」と明記していたとしても、ちょっと眉唾だと考えてもおかしくいないでしょう?
- もちろんその場合でも「『別冊宝島』は角田の育った環境が競馬と無縁だったと記している。」とかって書きなおすことはできるでしょう?
2段落目はこう書けるかも。
- 従前
- デビュー当初「うちの馬は全てお前に任せる」と告げた渡辺は、他厩舎からも騎乗馬を回してもらうよう手配するなど角田を支援。その期待に応え初年度43勝を挙げ
- 私だったらこう書くこともできる。
- 渡辺栄調教師は、デビュー当初は「うちの馬は全てお前に任せる」と調子のいいことを言ったくせに、実際にはそうはしなかった。デビューの初日の特別戦では渡辺調教師は人気上位のほうには松永幹夫を乗せ、角田は最低人気の馬に乗せられた[出典1]。翌週は渡辺厩舎はメモリーバイスを出走させたが、やはり松永幹夫騎手を載せた[出典2]。同期デビューの佐伯清久騎手はこの日初勝利を上げているが、角田騎手は騎乗機会を与えられなかった[出典3]。次の日には渡辺厩舎のリリーズブーケが出走するのに、河内騎手に騎乗を依頼した[出典4]。<!--このとき角田は怪我なり騎乗停止なりで乗れない事情があったとしたら、その情報を求む-->
- 出典1/<ref>[http://db.netkeiba.com/race/198909010310/ netkaiba 1989年3月4日 1回阪神3日目10R]2015年9月15日閲覧。</ref>
- 出典2/<ref>[http://db.netkeiba.com/race/198909010511/ netkaiba 1989年3月11日 1回阪神5日目11R]2015年9月15日閲覧。</ref>
- 出典3/<ref>[http://db.netkeiba.com/race/198909010512/ netkaiba 1989年3月11日 1回阪神5日目12R]2015年9月15日閲覧。</ref>
- 出典4/<ref>[http://db.netkeiba.com/race/198909010609/ netkaiba 1989年3月12日 1回阪神6日目9R]2015年9月15日閲覧。</ref>
- リリーズブーケはその後も河内が乗り[出典5]、ひめゆりステークスでは角田は同じ競馬場にいたにも関わらず[出典6]、武豊を乗せた[出典7]。その後もリリーズブーケの騎手は何度も変わったが、角田は乗せてもらえなかった。リリーズブーケは秋にサファイヤステークスを勝ち、エリザベス女王杯に人気馬として駒を進めたが角田は乗せてもらえなかった[出典8]。しかし角田はよその厩舎のシンビクトリーに乗ってエリザベス女王杯に出た[出典9]。シンビクトリーは14番人気と全く評価されていなかったが[出典10]、角田は「うちの馬は全てお前に任せる」という発言通りにしなかった渡辺調教師をあざ笑うかのように、シンビクトリーを駆って3着に突っ込んでみせた[出典11]。このレースは競馬史上に残る・・・翌週も他厩舎の馬でG1に出て・・・初年度43勝のうち、渡辺厩舎の馬で勝ったのはほぼ半数しかなく・・・
- 出典5/<ref>[http://db.netkeiba.com/race/198909030310/ netkaiba 1989年5月27日 3回阪神3日目10R]2015年9月15日閲覧。</ref>
- 出典6/<ref>[http://db.netkeiba.com/race/198907020211/ netkaiba 1989年6月18日 2回中京2日目11R]2015年9月15日閲覧。</ref>
- 出典7/<ref>[http://db.netkeiba.com/race/198907020209/ netkaiba 1989年6月18日 2回中京2日9R]2015年9月15日閲覧。</ref>
- 出典8/<ref>[http://db.netkeiba.com/horse/1986102111/ netkaiba リリーズブーケ]2015年9月15日閲覧。</ref>
- 出典9/<ref>[http://db.netkeiba.com/race/198908050410/ netkaiba 1989年11月12日 5回京都4日目10R]2015年9月15日閲覧。</ref>
- 出典10/<ref>[http://www.jbis.or.jp/race/result/19891112/108/10/ JBIS 1989年エリザベス女王杯]2015年9月15日閲覧。</ref>
- 出典11/<ref>[http://keiba.yahoo.co.jp/race/result/8908050410/ スポーツナビ 第14回エリザベス女王杯(GI)]2015年9月15日閲覧。</ref>
- どうです?バカげているでしょう?(わざとバカげた書き方をしました。)
本当は角田騎手のデビュー週に、渡辺師は6つレースに7頭を出してそのうち6頭に角田を乗せているので、渡辺師は本当に角田騎手をプッシュしたんですよ。角田騎手の初重賞出走のワンモアマイハートは渡辺厩舎だし。
- 「簡単に出典が見つかる」とおっしゃる門外漢の人たちへ。
- 角田晃一でHOPEさんが除去した情報を競馬マニアの私が眺めた場合
- 重賞勝利 38勝 (JRA)【独自研究】←私が数えると少なくとも重賞39勝みつかるんだけど?それとも1997年のオグリキャップ記念は重賞とはみなさない、っていう合意がどこかでありましたっけ?
- 通算勝利 713勝【正確性】←「通算」には地方競馬の勝鞍は入れないってルールが有るんだっけ?地方競馬と海外競馬の勝鞍数、そんなに簡単に見つかる?
- デビュー当初「うちの馬は全てお前に任せる」と告げた渡辺は、他厩舎からも騎乗馬を回してもらうよう手配するなど角田を支援。【要出典】← 「シンビクトリー」はい論破。
- ヒシの冠名の競走馬を所有している阿部雅一郎オーナーからの信頼が厚く【独自研究】 → 「ヒシマサル」はい論破。
なんだか根本的な/一般的な方針の解釈になっちゃってますけれど、ちょっと待って下さい。
完全な門外漢が、記事の中身がさっぱりわからなくても、文字列を眺めただけで、出典がついてなければ消すということは能力的に可能です。それを乱暴だ、破壊だとみなす人がいるのはわかります。
HOPEさんがそれをやったかというと、私はそうは思いません/思いたくありません。少なくとも調教師や騎手の記事に関して、HOPEさんは相当な知見を持っています。競馬のことをよく知っている方が、競馬の騎手に関して何かをしたなら、それは何か考えがあってのことだ、と思いませんか?
問題はHOPEさんがその考えを個別具体的に示さないことです。ちゃんと説明をして、こういう理由でここはおかしいよ、といって、出典のない記述を除去するのは、それなりに妥当です。「出典がない記述は誰でも除去できる」+「この記述には具体的な問題がある」=除去 です。
もし私が物理学とか数学の記事で何かを除去したら、それは明らかに、意味がわかってないのに表面的に出典が示されていないというだけで除去しているとみて間違いないでしょう。しかしもし私が鳥取の地理の記事でなにかを除去したら、「出典がない」以外になにか問題があったのだろうと思いませんか?
しかしそれでも、理由をちゃんと説明する必要はあります。99%の人は私が鳥取の地理記事をいくつか書いている、なんて知らないわけで、どこの誰だか知らない奴がわけも分からず適当に消している、とみなされてしまうからです。
私は「ちゃんと理由を説明したうえで」ならば、「自分で出典を探す」をしなくても、出典がない記述を除去してもいいと思います。そのときに「直ちに」除去できることになっていますが、「要出典」「要検証」をつけたりして暫く待つ、ということをすればベターです。「ベター」であって「やらないとペナルティ」ではありません。
私はこれまでの関わりから、HOPEさんは「単に出典がない」以外にも「除去するべきだと考えた何かの理由」があると信じています。しかしそれをちゃんと示さなかったのは怠慢と謗られてもしかたがないかもしれないと思っています。
HOPEさんは個別に説明せずに検証可能性とか存命人物とかを最初から主張して、それ以外の説明をしていません。私はそうじゃないと思っています。Bellcricketさんは「分別なく」除去した、と断定していますが、私にはBellcricketさんが主題に関する深い知識がないためにそう思っているだけに見えます。
角田騎手/調教師の場合
- 父は騎手になることを進路の一つとして提案・・・誰がそんなこと言ってたの?
- 「うちの馬は全てお前に任せる」(じゃあなんでエアマジックで若草Sでダービーの権利取りに行った時ユタカに騎乗させたの?あとオークツリーは最初藤田だったよね?)
- 『渡部調教師は「自厩の馬は全部任せる」といった【要出典】くせに、いざG1に有力馬を出すときになると河内に頼んだ<ref>[http://db.netkeiba.com/horse/1986102111/ netkeiba リリーズブーケ]2015年9月15日閲覧</ref>。角田はよその厩舎の無名の人気薄のシンビクトリーで3着に突っ込んでみせた<ref>[http://db.netkeiba.com/horse/1986106052/ netkeiba シンビクトリー]2015年9月15日閲覧。</ref>。』って書くと渡辺師の名誉に関わるかな?それとも「渡辺厩舎ストーリー」に仕立てられなくなって困る?
- スタントマンで皐月賞で3着に突っ込んだことは書かないのは「牝馬の角田」ストーリーに仕立てるのに都合悪いからかな?
- 「牝馬の角田」と呼ばれるようになったのは本当に「この頃から」だったのか?ヌエボトウショウの頃からそう言ってなかったか?(「いつから」なんて検証できないこと書かなくていいのでは?)
- 阿部雅一郎オーナーからの信頼が厚く・・・そこは要出典でしょ?
- 「ヒシ」?これ独自研究じゃないの?そんなこと言ったら角田といえば「トウショウ」でしょ、ヒシなんとかなんてアケボノ・ナタリー・ミラクルだけでしょ、トウショウはサマンサ、ヌエボ、シスター、バルカン、アンドレ、スイープですよ?トウショウソレイユとかロマンストウショウもいたし、関東馬のトウショウマリオでさえ角田を乗せたし、厩舎を開いたあともトウショウの馬が入ってきてるんだよ?ヒシアマゾンなんて関西で走る時でさえ中舘だったのに・・・
- 「フサイチパンドラの主戦を降ろされる不運」は本当に「運が問題」だったのか?定年で解散したのは「運」じゃないでしょ?最初から判っていたことでしょ?
- 「幻の三冠馬」?私なんてカミノエルフが幻の年度代表馬なんだけど?
- フジキセキ以来の念願だって?!最初から日本ダービー優勝が念願じゃない騎手なんているの?じゃあ逆に聞くけどフジキセキ以前は角田はダービーなんかどうでもいいって言ってたんだな?(この記述を改善するためのヒントはここにある)
- なんで「同期」で勝春や佐藤だけ名前を挙げて、山田泰誠や水流添の名前は出さないの?
- 体重っていつの時点のだよ(現調教師って言ってるのに17年前の体重書くわけ?)←議論をするなり、騎手時代の数値だと断り書きするなりすればいい。
- 「G1級勝利」って、これでいいことにしたんだっけ?
とかって、個々に突っ込むところはいっぱいある。それを事細かく指摘すればいい。これだけどっさりうさんくさい記述があるので一回ノートに移動しますね、だったら、また話は違ったんじゃないかなあ?
しかしそうではなくて、本当に単に「出典がない」「存命人物だ」というだけの理由で除去したというのであれば、私としてもHOPEさんを全面的に擁護するのはしんどくなります。そんな作業(まさに作業と言います)は、HOPEさんじゃなくてもできます。サラブレッドとシカを見分けられない人を連れてきてやらせたってできる。
一方でHOPEさんへ。どうしても黙って除去じゃなきゃだめでしょうか。Template:出典の明記は確かに「ノート等で別途説明することなしに使用することができます。」となっていますけれど、要出典範囲[要出典範囲]、要検証[要検証]、独自研究[独自研究]、としたり、{{Template:精度}}、{{Template:正確性}}、どまりではダメでしょうか?少なくとも参考文献が示されているなら、Template:参照方法を使うという方法もあります。Template:存命人物の出典明記、Template:観点などなど、細やかに使い分けていくことは記事の信頼性向上に役立つはずです。これを付けるだけでも読者には「この部分は信用ならんから気をつけるように!」というメッセージになる。そして、単に記事を眺めただけでなく、ちゃんと読んだ証にもなるはずです。(Wikipedia:正確性に疑問がある記事も参照。)
私がHOPEさんに求めたいのは、競馬分野で最高レベルの知識と実績と経験を持っているHOPEさんだからこそ、問題点を具体的に細かく説明できるはずで、それを丁寧にやってほしいのです。
出典を示さずに書きまくる人に困るのも確かです。しかし「かくかくしかじかの問題がある」と具体的に指摘していくことで、相手の方にレベルアップしてもらえるかもしれません。出典がない、消すよ!じゃなく、どうして出典がないとダメなのかも説明する。しんどいけれどそこまでやってほしい。それは記事を育てるだけじゃなく、執筆者を育てることにもなります。(これはWantであり、Mustではないので、やらないとペナルティではない)
Bellcricketさんに対しては、「推奨」どまりのことを強制させようとして「確約」を迫ったり、ブロック依頼を行ったことについては不快感を表明します。実際にはご自身では権限を行使していませんし、ブロック依頼でも判断を委ねたわけですから、それなりに自制が効いていることは間違いないです。しかしそれでも「お願い」どまりのはずで、管理権限を持った人がほとんど「強制・ペナルティあり」のような雰囲気を醸したことは不適切です。HOPEさんのやり方もちょっと乱暴だけども、Bellcricketさんのやりかたも同じように乱暴です。
Bellcricketさんは「記事の破壊行動」と決めつけていますが、バイト数を減らすのが全て「破壊」とは限りません。信頼性の低い情報を取り去って信頼性の高いものだけを残すのは創造的になりえます。砂金を探すときは大量に砂を捨てるんですよ。捨てた砂の中にも見落とした砂金の粒があるかもしれないけど、砂の山のままだったらそれはただの砂の山です。もしかすると目がいいあなたには砂の山にたくさんキラキラ輝いてる粒が見えているのかもしれません。しかしそれを黙ってみていたらなんにもなりません。自分で近づいてキラキラをちゃんと拾わないといけません。キラキラしてるのを拾ってみたら金じゃなくて黄銅鉱だった、ってことはよくあるし、HOPEさんはそれを見抜いていたのかもしれません。いやいや、黄銅鉱だって価値あるんだぜ!とか、捨てた砂もコンクリートの材料として高く売れるんだぜ!ってことなら、それをやればいい。
生レバーの続きを話すと、たしかにあなたがレバーを1つづ吟味している間にHOPEさんは冷蔵庫をどんどん捨てているかもしれないけれど、そもそもその冷蔵庫を黙って大量に運びこむ人がいるわけですよ。そっちにも目を向けずに処分しているほうだけ文句をいうのも片手落ちです。バランスですよ。これを「記事の体をなさない破壊」と言って非難するなら、たいていのスタブも記事の体をなしていませんよね。これも非難するのでないと筋が通らないでしょう?HOPEさんも極端だけど、あなたもちょっと極端です。どちらも一歩も譲らない姿勢だからこじれるんですよ。Bellcricketさんも、もうちょっと現実的に、穏やかに、他者の見解にも耳を貸す姿勢を求めます。
Bellcricketさんにしろ、他の方にしろ、「あらゆるものを絶対に消すな」とまではおっしゃってはいませんよね。出典がなくても、まずは慎重にやってね、ということですよね。それなりに手を尽くしてもなお出典がつかないという場合(少なくともそういう試みが行われたことが明示されているという場合)に、除去するということはやむを得ない、ということは認めていただけますよね?出典が見つかるまで永久にそのままにしておけ(悪魔の証明)ということではないはずです。
どっちにしろ、消したい人と残したい人が現れたなら対話をして糸口や着地点を探すべきです。「絶対消す」ために方針文書を使って問答無用に実力行使(除去)するのも乱暴だし、「絶対残す」とだけ言って自分では何もしないのも乱暴です。リバート合戦はサイテーです。政治信条とか思想信仰が背景にあって絶対に譲れない!みたいなリバート合戦はもうどうしょもない感じもしますけど、出典があるないでリバート合戦はあんまりです。こういう方向で残せないか、いつまで待ってくれ、こういう出典が必要だ、こういう風に変えれば残せる、いったんノートに移す、とかいろいろあるじゃないですか。
「簡単に探せば見つかるものを探さないのは悪だ」というのもいやだなあ。それを言うならまず先に「簡単に見つかるものを示さないで書いた奴が一番悪い」にならないと不公平と感じますが、私だけでしょうか。
管理者さんも含めて、ベテランの方、優秀な執筆者さんもいて、意見がわかれているわけですよね。こういう場合、共同作業なんですから、お互いにある程度相手の言い分を尊重しあう、ということではだめですか?
普通の人が見たら気にならないかもしれないが、人によっては「ん?」と思うことを2つほど書いておきますね。
- 競馬とは無縁の環境であった鳥取
- 私はこの記述、たとえ出典にそう書いてあったとしても、出典が間違っているんじゃないか?と思うほどに疑問を感じます。理由は次の通り。
- 地理的背景
- 鳥取は、少なくとも鎌倉時代からの馬産地だった。
- 特に名和町のある大山の裾野一帯は中国地方を代表する馬産地だった。
- 名和駅から5駅いった米子には公認競馬場があった。
- 名和町から4駅の赤碕には国営の種馬所があった。もちろんサラブレッドもいた。
- 日露戦争でステッセル将軍が乃木将軍に寄贈した名馬壽号は赤碕で種牡馬として繋養された。
- 赤碕の観光地のひとつ神崎神社では馬を祀っている。
- 神崎神社の例祭では臨時列車が運行されるほど近隣から人が集まった。
- いま、米子には場外馬券場があり、ど田舎にの岩美にも地方競馬の場外馬券場がある。
- ウィッシュドリーム、ナムラサンクス、キズナ、サカラート、これらの重賞勝馬には「鳥取県大山町」という共通点がある。
- 時代背景
- 競馬はテレビやラジオでもやっていて、電話で馬券も買える。
- 角田騎手が幼少の1970年代、日本競馬史上最大の競馬ブームの時期だった。
- 1973年のハイセイコーは日本人全員が夢中になったと言われている。
- 当時、ハイセイコーの騎手が歌ったレコードがヒット曲になるほどだった。
- 近隣が歴史的な馬産地で、前から名和に住んでいる人で、1973年頃にテレビをもっていれば、競馬とは「全く無縁」ではなかった可能性はありそうに思います。お父さんがハイセイコーをテレビで見た、馬券を買ったことがある、とかね。『別冊宝島』あたりが出典だとしたならば、これはますますホントカナ?と思うでしょう。
- しかしそれでも「『別冊宝島』によれば角田の幼少時代は競馬と無縁な環境だったとされている」と書かれたら文句はありません。
- リリーズブーケ
- 角田騎手がデビューした年、渡辺厩舎にはリリーズブーケがいました。
- リリーズブーケが桜花賞を目指してチューリップ賞に出走するとき、角田騎手ではなく河内騎手を乗せました。(出走取消になりましたが。)
- 次走以降も、河内、武豊、田島、安隆と乗り代わりましたが、角田は乗せてもらえませんでした。
- リリーズブーケは秋にサファイヤSを勝ち、ローズSでも3着に入ってエリザベス女王杯に駒を進めましたが、それでも角田は乗せてもらえませんでした。
- しかし角田は別厩舎の全くの人気薄の馬でエリザベス女王杯に出ることができました。
- 角田はそれで3着に突っ込みました
- このほか、渡辺厩舎の複数の馬が同じレースに出る場合、決まって角田は人気のない方に乗りました。
- 以上により、少なくとも渡辺調教師が実際には「管理馬の全てを角田に任せた」わけではないことは確実です。
- いまは「渡辺調教師の大プッシュのおかげで1年目のチャンピオンになった」というストーリーになっていますが、全く逆に、「渡辺調教師は全然いい馬に乗せてくれず、そのせいで勝率が下がった。勝ち鞍の半数はよその厩舎の馬だし、大レースに出たのは全部よその馬。エリザベス女王杯では人気薄の他厩舎の馬で渡辺厩舎の期待馬を負かして吠え面をかかせた」みたいなストーリーをでっちあげることもできちゃいます。やらないけど。
- ただし、上記のことをデータベースで出典を付けることは容易なんですが、これらについて述べた二次的資料があるかといえば難しくなります。
今の記事ではまったく無い視点ですが、私が書くとなると、「90年代の競馬ブームの時に人気があった若手騎手の一人」という描き方をします。そういう性格の出典はぼちぼちあります。