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河合谷高原 /いちょうS /袋川 /岩美郡 テンプレート:Infobox 山
河合谷高原(かわいだにこうげん)は扇ノ山北麓の標高1000m付近に広がる高原[1]。
地形・地質
河合谷高原は扇ノ山の北麓西側の標高900-1100m付近にあり、広さはおよそ1000haある[1]。
標高1309mの扇ノ山は第四紀を中心に火山活動をした死火山である。火山活動をしていた頃の地形は侵食によってあらかた失われているが、標高1000m付近には鮮新世から更新世に噴出した溶岩が何度か流れ固まった溶岩台地が四方に形成されている。「扇ノ山」の名は、これらの溶岩台地のなだらかな尾根の姿を左右にひらいた扇に見立てて呼ばれるようになったものとされている[2][1][3]。
こうした溶岩台地には南西斜面の広留野高原(若桜町・八頭町)、北西斜面の河合谷高原(鳥取市・岩美町)、北東斜面の上山高原(新温泉町)、畑ヶ平高原(新温泉町)がある[2]。河合谷高原は安山岩の溶岩台地の上に大山由来の火山灰が積層し、表土は黒ボクになっている[4]。
溶岩台地の端部は標高700-800m付近で激しく侵食されて急峻な断崖やV字谷をつくりだしており、谷頭部には滝や速瀬が発達している。河合谷高原には千代川水系の袋川の源流があり、高原の西側に雨滝を中心に「四十八滝」と呼ばれる数多くの滝がある[注 1]。一方、北側には堰止湖の天神池があり、ここを源流とする蒲生川が天神滝を経て北へ向かっている[1]。
死火山
- 第三期末(6430万年前から260万年前)から第四紀にかけて(260万年前から現在)活動
- 118-40万年前 山陰海岸ジオパーク館[1]
扇ノ山の噴火による溶岩流が冷え固まってできた溶岩台地[5][6]。
蒲生川、袋川の水源。
約800ha。
スキー場があった
ウド、ゼンマイ、ワラビ、スズノコなどの山菜が自生[7]
新緑や紅葉などを楽しむ行楽地[8]
車で行くことができる[9]
公園
高原は遊歩道や公園として整備されている[10]
牧場
牛の育成のための放牧地・牧草の採草地となっている[8][11]
大正時代の中期に小林牧場が最盛期[8]
今は僅かな遺構が残すのみ[8]
地理・地形
自然環境
開発前のブナ林などの植生を復元させようという取り組みも行われている[12]。
小史
豊臣秀吉が陣を張った
江戸時代には鳥取藩が国境の警備のため、兵を常駐させていた
★その他★
雨滝(四十八滝) 大鹿滝 諸鹿七滝
脚注・出典
注釈
- ↑ 「四十八」は「たくさんある」という意味であり、48ヶ所の滝があるという意味ではない。
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 『鳥取県大百科事典』p97「河合谷高原」
- ↑ 2.0 2.1 山陰海岸ジオパーク館 雨滝のみち2015年10月6日閲覧。
- ↑ 『日本地名大辞典 31 鳥取県(角川日本地名大辞典)』p261-262「河合谷高原」「河合谷牧場」
- ↑ 国土交通省 中国地方整備局 鳥取河川国道事務所袋川流域の山々の伝言 河合谷高原 (PDF) 2015年10月7日閲覧。
- ↑ 鳥取市役所・国府町総合支所 産業建設課雨滝四十八滝物語2015年10月3日閲覧。
- ↑ 鳥取県生活環境部 緑豊かな自然課 雨滝のみち2015年10月3日閲覧。
- ↑ 岩美町 河合谷高原2015年10月4日閲覧。
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 鳥取市役所・国府町総合支所 産業建設課河合谷高原2015年10月3日閲覧。
- ↑ ひょいと因但観光ナビ 河合谷高原2015年10月3日閲覧。
- ↑ 国土交通省 中国地方整備局 鳥取河川国道事務所河合谷高原の四広場 (PDF) 2015年10月2日閲覧。
- ↑ 公益財団法人 鳥取県畜産振興協会 河合谷牧野2015年10月3日閲覧。
- ↑ 森林を守ろう!山陰ネットワーク会議 河合谷高原の森林復元を考える会2015年10月3日閲覧。
参考文献
- 国土交通省中国地方整備局・鳥取河川国道事務所
- 鳥取県庁
- 蒲生川水系河川整備基本方針 (PDF)
- 蒲生川水系 河川整備計画 (PDF)
- 地勢及び地質 (PDF)
- 『鳥取県大百科事典』,新日本海新聞社鳥取県大百科事典編纂委員会・編,新日本海新聞社,1984
- 『鳥取県境の山』,日本山岳会山陰支部・山陰の山研究委員会・編,日本山岳会山陰支部・刊,1999
- 『岩美町誌』,岩美町誌刊行委員会,1968
- 『鳥取県の地名(日本歴史地名大系)』,平凡社,1992
- 『日本地名大辞典 31 鳥取県(角川日本地名大辞典)』,角川書店,1982,ISBN 978-4040013107
- 『全國温泉案内』,溫泉研究會,1924