ウィリアム・ブレンキロン

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 ウィリアム・ブレンキロン(William Blenkiron 1807?–1871)は19世紀イギリスの馬産家である。

 ケント州にミドルパーク牧場を拓き、さまざまな名馬を繋養した。いわゆるマーケットブリーダーのはしりで、早熟な短距離馬を好み、そうした競走馬の活躍舞台としてミドルパークステークスを創設した。

人物

 ブレンキロンはもともとヨーク州リッチモンドの農夫だった。生まれは1807年頃と伝わっている。20代でロンドンに上京して商売をはじめ、被服関係の町工場を営むまでになった。

 30代後半で町工場を息子に譲って引退し、かねてからの希望だった競馬の世界に足を踏み入れた。

ミドルパーク牧場

 ブレンキロンが最初に手に入れた牝馬はグランス(Glance)といい、もともとはジョージ・ベンティンクの生産馬だった。グランスは父ヴェニソン(Venison)、母の父ウィスカー(Whisker)という血統で、のちにその子孫はフランスやハンガリーに渡っている。このグランスが最初に産んだ仔がヤングビバラック(Young Beverlac)といい、これがそこそこ活躍して、さらに3頭の牝馬を買うだけの値段で売れた。

 これらの牝馬らをつれて、ブレンキロンはケント州のミドルパークへ移り、1852年に牧場を開設した。このときの牝馬は総勢7頭だったという。これが大成功し、やがて200頭規模の繋養数を誇る、ヨーロッパ有数の大牧場へと発展した。のちに、ロンドン郊外のウォルサムクロスやサリー州エッシャーにも分場を設け、放牧などに用いるようになった。

 ミドルパーク牧場で供用された代表的な種牡馬としては、タッチストーンバードキャッチャーニューミンスターキングストン(Kingston)などがいる。

 このうちキングストンは前述のヴェニソン産駒で、グッドウッドカップなどに勝った馬である。これがミドルパーク牧場で種牡馬になり、ブレンキロンが生産したカラクタクス(Caractacus)はのちにダービーに勝った。

 ブレンキロンは牝馬の更新にも熱心で、毎年数多くの繁殖牝馬を売りに出し、新しい牝馬を買い入れた。ミドルパーク牧場の牝馬の競り市はイギリス中の競馬場で定期的に催され、フランスなどの外国で行うことさえあった。

高馬の購入

 ブレンキロンは、繁殖牝馬や種牡馬を入手するため、競り市でいくらでも高い値段をつけることで知られていた。だから、誰もがブレンキロンと競り合いをしても無駄だと悟っていた。

 ブレンキロンが競り落とした有名な高額馬には、次のようなものがいる。

主な生産馬

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