6代ファルマス子爵

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2016年4月1日 (金) 17:42時点におけるJulyfestival (トーク | 投稿記録)による版 (競馬との関わり)

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 '6代ファルマス子爵エヴリン・ボスコーエン(Evelyn Boscawen, 6th Viscount Falmouth, 1819-1889)は、19世紀を代表する馬主の一人である。

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家柄

 エヴリン・ボスコーエンはカンタベリー大聖堂に務める聖職者ジョン・ボスコーエン(John Evelyn Boscawen、1790-1851)の息子として生まれた。厳格な父のもと、イートン校からオクスフォード大へ進み、法職の道についた。

 1845年、36歳のときにステープルトン家令嬢のメアリ・フランシス・エリザベスと結婚。ステープルトン家はル・デスペンサー男爵位を有していて、彼女がその17代目の継承者だった。そのためこの結婚の結果、エヴリン・ボスコーエンはケント州のメアワース・キャッスル邸(en:Mereworth Castle)に住むようになった。

 1852年に従兄弟の6代ファルマス子爵ジョージ・ボスコーエンが死去した。6代子爵には子がなく、エヴリン・ボスコーエンが爵位を受け継いで7代ファルマス子爵となった。これによりコーンウォール州にあるトレゴスナン(en:Tregothnan)の城も相続することになった。この城は17世紀から数多くの植物コレクションで有名で、のちに植物園となった。

 6代子爵は1889年に70歳で死去した。爵位は長男のエヴリン・エドワード・トーマスが継ぎ、7代ファルマス子爵となった。

競馬との関わり

 妻のステープルトン家が代々受け継いできたケント州のメアワース・キャッスル邸には広大な領地が付属しており、サラブレッド生産の牧場もあった。6代子爵はそこで競走馬の生産・所有をおこなうようになった。

 ただし、賭け事を嫌う聖職者の家に育った6代子爵は、父の存命中は「バレンタイン氏(Mr Valentine)」という仮定名称を使って競馬を行っていた。のちに本名の「6代ファルマス子爵」名義で活躍するようになるが、競走馬を走らせることはあっても、ブックメーカー相手に賭けるような事はしなかった。むしろそうした行為に批判的な立場をとっており、インチキ行為に加担しない厳格な馬主として高い信頼を得るようになった。

 はじめのうちはモールトンジョン・スコット調教師に馬を預けていたが、1871年にスコット調教師が亡くなったあとはニューマーケットに本拠をおくマシュー・ドーソン調教師に委託するようになった。

主な所有馬

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