第2日目〔9〕

狭い奈路

このあたりから、谷は一気に険しく、深く、狭くなる。地名は奈路。

狭い道路だから奈路。ってやかましいわw

 

ちなみに、今日さかのぼっている物部川は、高知県内だけを流れる川としては最長、

四国全体でも、土佐の四万十川、阿波の吉野川、愛媛山中から高知に注ぐ仁淀川に次いで4番目に長い川で、

自然が残る川として有名だそうだ。http://frvym.cool.ne.jp/monobegawa.html

ちなみに今回の旅行では、たまたまだが、この四万十、吉野、仁淀、物部全ての川に立ち寄ることになる。


渓谷楽しいよ渓谷

奥へ、奥へ。

 

 

両側の山は、標高1300メートル級になってきた。

谷はさらに険しく、深い。

それでも、ぽつり、ぽつりと民家があり、バス停もある。

だがほかにはなんもない。自販機もない。

ガソリン入れといてよかった (*´∀`*)

 

 

 

勘定山が1334メートル、となりの牛地山(またヤフーの地図が間違っているわけだが)は1460メートルだ。

車を止めて谷をのぞくと、お魚さんいた (*´∀`*)

うまく写真取れませんでしたよハゲ

 

山はもうこんな感じ。

 

そんな山奥でも、

 

 

 

 

 

 

 自転車の高校生のおにゃのこも走っている。

 

 

 

郵便やさんも走っている。

こんな山奥まで、そしてきっと郵便やさんは、さっきの吊り橋みたいなのもシャキシャキ渡って、

山のてっぺんのほうの一軒の民家までお手紙をもりもり運ぶんだろう。

♪大変な職についたね

♪偉いね


13:30 高知バイバイ

 

さて、谷をさかのぼっていくと、別府に着く。別府温泉郷だ。

ここから別府峡谷に分け入って行くのも楽しかろう。

温泉に入ってお泊りも楽しそうだ。

うはー 明日の宿さえ予約していなければ絶対泊まってたね

 

ごめんねごめんね でも明日は足摺岬に泊まるの。

で、今は高知から山越えて徳島に入ろうとしているわけで、このあと香川行って愛媛回ってから高知の足摺岬だ。

どんな計画だよwwwww

 

「四足峠」って、なんとなーーーーくホラーな逸話の存在を感じさせるネーミングだ。

トネルの中は暗い。

ぐぐったらこんなことが書いてあった。

 四ツ足峠トンネル
  昭和39年12月開通時道路トンネルの長さとしては四国一で全国4番目世界でも10番目。

  
国道195号線は昭和28年に2級国道指定をされたものの物部村(当時槇山村)では岡ノ内までしか車両通行不可であった。
  森林鉄道が別府手前まで通じていたが肝心の県境付近は徒歩3時間の獣道同然の歩道しかなかった。

  しかし高知県側の寺田・宇田両代議士が「車道がある」と主張して国土地理院発行に無理矢理車道を書き込ませた挙げ句
  「地図の通りにしないと利用者が間違って困るから早くその通りにしろ@(`ω´)@」
  とかなり滅茶苦茶な理屈をつけたそうである。
  
  その後昭和31年に別府付近まで道路開通、徳島県側も木頭村北川まで道路が延びた。
  昭和31年夏にトンネル建設促進を訴えるため原徳島県知事ほか徳島県庁関係者が北川から徒歩で峠越えをし高知県庁まで出向く。
  翌32年には逆に溝渕高知県知事ほか関係者一行が峠越えをして徳島県庁へ出向くアピールを行った。

  こういったパフォーマンスや陳情もあり昭和32年10月に基本計画が建設省で認可された。
  当初は取付道路を公共事業費で負担、トンネルは道路公団が建設、
  つまり有料道路として建設するはずであった。

  ところが昭和36年トンネル以外の道路が完成しつつあった時に自治省からクレームがついた。
  1.道路公団の事業に県が負担金を出して財政を圧迫するのはおかしい。
  2.僻地を開発するのに有料トンネルではかえって発展を妨げる
  の2点で、結局すったもんだの挙げ句トンネルも公共事業で着工に決定。
  建設費見込み5億円が実際には6億1500万円であった。

実際、高知から徳島へ行こうと思ったら、ぐりっと室戸岬を回るか、ぐるっと北へ回るかしないとならなくて、

ほぼダイレクトに行き来するにはこの国道195号だ。

道民の感覚で言うとだな、石北峠みたいなもんかな。ウン。

旭川から網走行くのに、昔は南下して狩勝峠越えて帯広からぐるっと釧路経由で行くか、

さもなくば白滝村の山ん中をヒグマに食われる覚悟で行くか、

だったのを大雪山ぶち抜いて石北峠できました、みたいな。