さて、四つ足峠を抜けると徳島県なのれす。
しかし、県は変わったといっても、谷底関係である事には全く変わりはないのれす。
渓流が物部川から那賀川にかわっただけなのれす。
違うのは、さっきまではどんどん山奥に入って行ってたのが、
今度は山から人里へ下りて行くので、だんだん開けて行く感じなのれす。
とはいっても、道は細くなったり、整備されてたり、と思ったらカーブを曲がるとまた細い、
ジェットコースターみたいな感じなのれす。
峠を越えた徳島側は、さっきまでの高知側に比べると人家も多い。
多いっつったってあれだけど。
「久留名」、「折宇谷」、「栩谷」(栩は「くぬぎ」)、「畦ヶ野」(畦は「あぜ」)、「和無田」・・・
相変わらずアレな地名だ。
そしてトンネルをいくつか抜けると、
久しぶりのちょっと大き目の集落。
木頭村なのれす。
ぜったいに、「きとう、きとうm9」と中学生ぐらいの頃に連呼されたことだろう。
でも、最近の市町村合併ラッシュで「那賀町」になったのれす。
でも、お金がないのか、そこらへんの案内看板とかは「木頭村」のままなのれす。
ここは柚子と一本乗りで有名なのれす。
出荷量ではここ木頭村が徳島で一番なのれす。
http://www3.ocn.ne.jp/~kitomura/rink2.html
ゆずおいしいよゆず
http://www3.ocn.ne.jp/%7Ekitomura/
ちょww
キトウ村のおっさんが「クリ」とかTシャツに書いたりとか
ぁあっッ キトウ、キトウっっ 太くて長くて硬いアレに乗って クリ・・・ もうビショビショっっ
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その昔、切り出された木材は川を使って運ばれていました。川辺にひっかかった木材を流れに戻し、下流まで監視する人たちが、丸太一本に乗って川を下る「ヒヨウ」と呼ばれた人たちです。「ヒヨウ」は当時花形の職業でしたが、下流にダムができ、道路が整備されトラック輸送へと替わると、その姿は川から消えてしまいました。しかし「ヒヨウ」の伝統の技を絶やすのは惜しいと、昭和60年に「木頭杉一本乗り保存会」が結成。毎年8月第一日曜日に大会が開催されています 『世界ヒヨウ列伝』民明書房刊 |