第2日目〔10〕


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       ((    ; 三    ,,))
        ヽ   (  /    ミ        
        キ   .メ   ./       
13:45     乂      ノ 

さて、四つ足峠を抜けると徳島県なのれす。

しかし、県は変わったといっても、谷底関係である事には全く変わりはないのれす。

渓流が物部川から那賀川にかわっただけなのれす。

違うのは、さっきまではどんどん山奥に入って行ってたのが、

今度は山から人里へ下りて行くので、だんだん開けて行く感じなのれす。

 

とはいっても、道は細くなったり、整備されてたり、と思ったらカーブを曲がるとまた細い、

ジェットコースターみたいな感じなのれす。

峠を越えた徳島側は、さっきまでの高知側に比べると人家も多い。

多いっつったってあれだけど。

「久留名」、「折宇谷」、「栩谷」(栩は「くぬぎ」)、「畦ヶ野」(畦は「あぜ」)、「和無田」・・・

相変わらずアレな地名だ。

 

 

そしてトンネルをいくつか抜けると、

 

久しぶりのちょっと大き目の集落。

木頭村なのれす。

ぜったいに、「きとう、きとうm9」と中学生ぐらいの頃に連呼されたことだろう。

でも、最近の市町村合併ラッシュで「那賀町」になったのれす。

でも、お金がないのか、そこらへんの案内看板とかは「木頭村」のままなのれす。

 

ここは柚子と一本乗りで有名なのれす。

出荷量ではここ木頭村が徳島で一番なのれす。

http://www3.ocn.ne.jp/~kitomura/rink2.html

ゆずおいしいよゆず

 


http://www3.ocn.ne.jp/%7Ekitomura/

ちょww

キトウ村のおっさんが「クリ」とかTシャツに書いたりとか

ぁあっッ キトウ、キトウっっ  太くて長くて硬いアレに乗って  クリ・・・ もうビショビショっっ

 

その昔、切り出された木材は川を使って運ばれていました。川辺にひっかかった木材を流れに戻し、下流まで監視する人たちが、丸太一本に乗って川を下る「ヒヨウ」と呼ばれた人たちです。「ヒヨウ」は当時花形の職業でしたが、下流にダムができ、道路が整備されトラック輸送へと替わると、その姿は川から消えてしまいました。しかし「ヒヨウ」の伝統の技を絶やすのは惜しいと、昭和60年に「木頭杉一本乗り保存会」が結成。毎年8月第一日曜日に大会が開催されています

『世界ヒヨウ列伝』民明書房刊