カンバーランド公ヘンリー・フレデリック
カンバーランド公ヘンリー・フレデリック殿下(Henry Frederick, Duke of Cumberland and Strathearn、1745年 - 1790年)は、英国王ジョージ3世(在位1760年 - 1820年)の実弟である。
1745年に生まれた当時の国王はジョージ2世(在位:1727年 - 1760年)で、父親のフレデリック・ルイスは英国王太子であり、ヘンリー・フレデリックはその4男で、国王の孫だった。
1751年、ジョージ2世が67歳の時、後継者になるはずの王太子・ウェールズ公フレデリック・ルイスは44歳で肺を傷めて急逝してしまう。当時ヘンリーは5歳だった。このため、ジョージ2世は新たな後継者を指名することになり、フレデリック・ルイスの長男だったジョージ・ウィリアム・フレデリック(のちのジョージ3世)が新英国王太子となった。ジョージ2世は1760年に崩御し、ジョージ・ウィリアム・フレデリックは22歳で戴冠、英国王ジョージ3世となった。
1766年、国王の弟である20歳のヘンリー・フレデリックに、カンバーランド公位(イングランド)、ストラサーン公位(スコットランド)、ダブリン伯(アイルランド)の位を与えられた。
爛れた私生活
王弟カンバーランド公ヘンリーは、乱れた女性関係で有名だ。カンバーランド公に任じられた20歳そこそこのときに、聖職者の娘に手を出して孕ませ、王室や教会に内緒にしてこっそり「結婚」した。その数年後にはホートン夫人と内通して1771年秋に「結婚」した。
この結婚は物議を醸すことになった。法的な正式な結婚であるかどうかはともかく、カンバーランド公とホートン夫人のいずれもが「重婚」だったからだ。翌春には、王室のメンバーは王の許可なく勝手に結婚してはならないという法律ができた。
競馬におけるカンバーランド公
主な所有馬
- [[]] -
- [[]] -
- [[]] -
- [[]] -
- [[]] -
- [[]] -
- [[]] -
生涯
年表
- 1745年 - 誕生。祖父ジョージ2世が国王。
- 1751年 - 父のウェールズ公フレデリック・ルイスが死去。兄がウェールズ公となる。
- 1763年 - ジョージ2世が崩御。兄がジョージ3世として即位。
- 1766年 - カンバーランド公・ストラサーン公・ダブリン伯に叙任。
- 1767年 - 密かに「結婚」
- 1771年 - ホートン夫人と「結婚」
- 1772年 - 王室メンバーの結婚を規制する法ができる