グローヴナー伯爵

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グローヴナー家(Grosvenor)はチェシャー州のイートン・ホール(Eaton Hall)を本拠とする領主である。家訓は「家柄ではなく美徳を(Virtus Non Stemma)」。18世紀末頃に活躍したグローヴナー伯爵は競馬と芸術の世界で有名で、ダービー3勝、オークス5勝などの成績をあげた。

先祖は1066年にウィリアム征服王と共にイングランドへやってきたノルマン人で、ジルベル・ル・グローヴナー(Gilbert le Grosveneur)といった。「le Grosveneur」はノルマン語で「狩猟頭」の意味だという。同族にはチェスター伯(Earl of Chester)に封じられたヒュー・ルパス・ド・アバランシュ(Hugh Lupus D’Avranches)がいる。ジルベルとヒュー・ルパスは甥・叔父の間柄だった。

15世紀の中頃、グローヴナー家はチェシャー州イートン・ホール領主の令嬢を嫁に迎え、のちに相続によってイートン・ホールの領主となった。北西イングランドのチェシャー州は鉱産資源に富み、グローヴナー家は鉱山開発によって財を成した。17世紀には結婚によって、ロンドン近郊に500エーカー(約200ヘクタール)の土地を手に入れている。

1611年、スコットランド出身の英国王ジェームズ1世は、アイルランド征服を企て、新たな兵力を創出するために「準男爵」(バロネット)という位を新設した。これは「貴族」には数えられないが、世襲称号であり授爵者は「Sir」の敬称で呼ばれる。グローヴナー家は1622年にこの准男爵位を受け、リチャード・グローヴナーが初代准男爵となった。

7代目のリチャード・グローヴナー(1731年-1802年)のときに、政治家として大ピット・小ピットに仕え、1761年に男爵位、そして1784年には伯爵位を授かった。同時にチェスター州のベルグレイヴ子爵位(Viscount Belgrave)も与えられた。その子、ロバート・グローヴナー(1767年-1845年)は海軍やインド方面の政務官を務め、ウェストミンスター侯爵(Marquess of Westminster)に叙された。その孫は1874年にウェストミンスター公爵(Duke of Westminster)に昇格、現在に至る。

グローヴナー家が17世紀に手にいれたロンドン郊外の土地は、ロンドンの拡大と都市化に伴って、高級住宅地として価格が跳ね上がり、20世紀前半にはグローヴナー家(ウェストミンスター公爵家)は、世界3位の富豪にまでなった。(1位・2位はアメリカのフォード家、ロックフェラー家である。)

歴代グローヴナー准男爵

歴代グローヴナー伯爵

  • 1755 - 1761 7代グローヴナー准男爵(Sir Richard Grosvenor, Bt)
  • 1761 - 1784 グローヴナー男爵(Baron Grosvenor、The Lord Grosvenor)
  • 1784 - 1802 初代グローヴナー伯爵(1st Earl Grosvenor)

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