レンヌ伯

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en:Count of Rennes(oldid=804493997)より一部転記

レンヌ伯(れんぬはく、フランス語Comté de Rennes)は、

レンヌ伯位は完全にブルターニュ公位に統合され、やがてはフランス王位のもとに束ねられた。

ブルターニュの代表都市レンヌ

レンヌブルターニュ地方を代表する都市の一つである[1]。1970年代に成立した現代フランスの地域区分のもとでは、ブルターニュ地域圏の首府となっている[2]。ただしブルターニュ地方全体から見ると偏った位置にあるため、ブルターニュの中心地とは言い難い[2]。歴史的には長くブルターニュ王国ブルターニュ公国の領内にあったが、8世紀頃にはフランク王国の支配を受けた時期もある[3]。起源は古く、紀元前のアルモリカ王国の頃から川の合流地に町が拓かれていたことがわかっている。ローマ帝国時代には、レンヌはフランク人のキウィタス(都市)と認められ、その支配者は「都市伯」と呼ばれた(ラテン語の「comes()」は、もともとは行政の長を意味する語)。これがレンヌ伯位のもとになった。

3世紀から4世紀にかけて、この一帯にはブルトン人が侵入し、いくつもの国がつくられた。これらは次第に統合されていき、6世紀から7世紀にかけてブルターニュ(「ブルトン人の土地」の意)と呼ばれる地域となった。何世紀もの間、ブルトン人の国(ブルターニュ公国)とフランク人(フランク王国)との間で領地の奪い合いが行われ、両勢力の境い目に位置するレンヌはしばしば支配者が変わっていった。やがてブルターニュが優勢となり、フランク王国から封臣王国のブルターニュ王国として認められるまでに至った。ブルターニュ王国のなかでも、レンヌ伯は北ブルターニュの有力者となっていった。

しかし9世紀頃からヴァイキングの侵入が激しくなり、ブルターニュはしばしば分断された。ブルターニュ王位も空位となることがあり、ブルターニュは北のレンヌ伯と南のナント伯ヴァンヌ伯により事実上二分された。10世紀にはナント伯家によってブルターニュ公国が再興され、ナント伯家がブルターニュ公を名乗るようになった。しかしブルターニュの公位をめぐってレンヌ伯家とナント伯家のあいだで争いが続き、10世紀の終わり頃にレンヌ伯コナン1世がナント伯家を滅ぼしてブルターニュ公位を奪った。以後、基本的にレンヌ伯がブルターニュ公となった。1203年には、レンヌ伯領はブルターニュ公領に組み込まれ、伯位そのものが廃された。

歴代のレンヌ伯

fr:Liste des comtes de Rennes(oldid=138505742)より一部転記

から まで 名前 フランス語 ブルトン語 英語 備考
? 820 Rorgon Rorgon I
? 876 グルヴァント Gurwant Gurwant Gurwant Wrhwantなどの異表記もある。ラテン語表記ではVurfandus。
876 888 ユディカエル Judicaël Yezekael Judicael
888 896 ベランジェ2世 Bérenger II Berengar II Berengar II
896 903 不明
903? 953?
970?
ジュエル・ベランジェ Juhel Bérenger Yuzhael Berengar Judicael Berengar ブルトン人の史料では「Yuzhael(Judicael、ユディカエル[注 1])」、フランク人の史料では「Bérenger(ベランジェ)」とされる人物で、便宜上「ユディカエル ベランジェ」のように通称されている。
958?
970?
992 コナン1世 Conan I Konan I Conan I the Crooked ユディカエルの子。ナント伯家を攻め滅ぼし、ブルターニュ公となる。
992 1008 ジョフロワ1世 Geoffroi I Jafrez I Geoffrey I コナン1世の子。ブルターニュ公。
1008 1040 アラン3世 Alain III Alan III Alan III ジョフロワ1世の子。ブルターニュ公。
1040 1066 コナン2世 Conan II Conan II アラン3世の子。ブルターニュ公。
1066 1084 Geoffroy Grenonat Geoffrey II Grenonat アラン3世の非嫡出子。
1066 1072 アヴォワーズ Havoise Hawise コナン2世の姉妹
1082 1084 オエル2世 Hoël II Hoel I アヴォワーズの夫
1084 1112 アラン4世 Alain IV Alan II Fergant オエル2世の子。ブルターニュ公。
1112 1148 コナン3世 Conan III Conan III the Fat アラン4世の子
1148 1156 オエル3世 Hoël III Hoel III
1156 1158 Berthe
1156
1158
1166 Conan IV Conan IV the Young
1166 1181 Henri II d'Angleterre Henry Curtmantle
1181 1186 Geoffroy II Geoffrey II
1166 1201 コンスタンス Constance Constance
1196 1203 アルテュール1世 Arthur I Arthur

脚注

注釈

  1. 「ユディカエル」という読みはラテン語風のもので、フランス語風の表記では「Juhel(ジュエル)」

出典

  1. 地球の歩き方 2018-19 A06『フランス』,p318「レンヌ」
  2. 2.0 2.1 『フランス史1 ―先史~15世紀―』,p29
  3. 『フランス史1 ―先史~15世紀―』,p159

書誌情報

関連図書

外部リンク

関連項目