天正壬午の乱のこと
提供: Test Wiki
- テンプレート:反対「転記分割」には不賛成です。
- いまのところ、「天正壬午の乱」は、「若御子対陣」を含む、より広い概念だ、ということになっています。「転記分割」の必要はなく、適切な情報源が集まったならば、新たに一から「若御子対陣」を書けばよいでしょう。記事名については、私はEULEさんと同意見で、「近世の文献」に掲載の用語を記事名にするのが正しいとは言えないと考えています。近世だろうが近代だろうが、Wikipediaは現代の百科事典なので現代の用語を選択するのが常道です。近世ではこう呼ばれていたけれど、現代では別の名前で広く知られているなら、それを採用します。もちろん、現代でも近世と同じ用語がそのまま広く通用しているというなら、それを採用するのがよいです。
- 個人的には・・・たとえば「何とかの乱」とか「何とかの変」とかという呼称は、往々にしてある側に立った偏ったものの見方に立脚しており、乱を起こした側から見れば「何とかの戦い」だったり、俯瞰的には「何とか事件」だったりします。「若御子」などの表現にはそうした偏向が見え隠れしているような感じがします。でも先に書いたように、なにはともあれこの名で広く知られているならそれでいいのですが。
- 「悪魔の証明」云々については、小峯堂さんはWikipedia:検証可能性やWikipedia:独自研究は載せないの考え方を誤読しています。簡単にいうと「情報源に書いてないことを書くな」ということです。長野の城郭資料に「天正壬午の乱」という用語が登場しないなら、長野の城郭資料を基に「天正壬午の乱」に言及するなということです。「書いていない」というのは小峯堂さんによる観察結果であり、それは独自研究です。あなたがたまたま「天正壬午の乱」と書かれていない文献を手にとったと言うだけかもしれません。
- わかりやすくいうと、『鳥取県史』にチュニジアについて書かれていないからと言って、私がチュニジアの記事に「『鳥取県史』にはチュニジアについて書かれていない」と加筆したら変ですよね。それと一緒です。
- 書くことが可能な場合というのは、たとえば別の情報源『天正壬午の乱のすべて』みたいな文献があったとして、そのなかで「『長野県城郭大系』には天正壬午の乱という呼称が使われていない」と書かれていたら、それは利用できます。
- また、我々Wikipedianによる文献批判も独自研究です。「私が主張しているのは、平山が著書の中で「壬午の役」の出典を「近世の軍記にある」と書き、それを「天正壬午の乱」という言葉を使う根拠としているが、根拠が不明確で疑わしい、ということです。」というのは小峯堂さん個人の主張ですから、それをそのままWikipediaには書けません。ご自身で本をお書きになり、適切な出版社から刊行してください。
- 我々がWikipedia:信頼できる情報源の観点から、この情報源はよさそうだとか、ダメだとかを論じることはあります。それにはノートで合意形成をします。