1712
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07.19 (月)
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芝
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4 miles
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≒
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6437m
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賞金
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100gs 相当の金杯
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備 考
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この競走は、1714年7月28日の王室賞 (ヨーク)の再戦として企画されたものである。1714年のレースでは、レース中に騎手によるルール違反があったという申立があり、第1ヒートの1着馬Duchessと第2・第3ヒートの1着馬Foxhunterとの間で決勝ヒートが組まれた。これを制したのはFoxhunterだったが、馬主サイドはこれを不服として法廷闘争となった。結局、第3ヒートを完走した4頭の馬主で、優勝商品に相当する100ギニーの賞金を4等分することになった。ところが、彼らはこの25ギニーを受領する権利を、第三者に譲渡した。買い取ったのはラトランド公爵が2口、カーライル伯爵が1口、そしてロウザー卿が1口だった。3者は1719年の7月に3名による再戦を行うことを決めた。こうした行われたのがこのレースである。アン女王は1714年8月に崩御し、すでにジョージ1世の御代となっていたのだが、このレースはあくまでも1714年の「アン女王の金杯」を争うものであったから、レース名は「先女王陛下金杯(Her late Majesty's Gold Cup)」の名で行われた。これを制したのがカーライル伯爵のBuckhunter(後名Carlisle Gelding)だった。当馬はこのあと、1719年8月に開催された本来の王室賞 (ヨーク)も勝ったので、後にも先にも例のない「同一年ヨーク競馬場王室賞連覇」という記録を残したのだった。Buckhunterは激しすぎる気性のため去勢されて騙馬になっており、種牡馬になれずに1731年まで競走馬として走り続け、最後はレース中の骨折によって殺処分となった。
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